なぜ走れと言うのか

　現役時代、中日ドラゴンズ、西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズで活躍した外野守備の名手・平野謙さんの著書『雨のち晴れがちょうどいい。』が発売された。

　両親を早くに亡くし、姉と2人で金物店を営んでいた時代は、エッセイストの姉・内藤洋子さんが書籍にし、NHKのテレビドラマにもなっている。

　波乱万丈の現役生活を経て、引退後の指導歴は、NPBの千葉ロッテ、北海道日本ハム、中日をはじめ、社会人野球・住友金属鹿島、韓国・起亜タイガース、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと多彩。

　そして2023年1月からは静岡県島田市のクラブチーム、山岸ロジスターズの監督になった。

　これは書籍の内容をチョイ出ししていく企画。今回はドラゴンズ時代の1987年に就任した星野仙一監督の話です。

■

　仙さんの監督就任が決まったとき喜んでいた選手はたくさんいましたが、僕はどんな野球をやるのかまったく分からない不安感というか、警戒心みたいなものがありました。

　この年、僕は前の年に盗塁王を狙った疲労のケアをしっかりしなかったこともあって、春季キャンプで左足のふくらはぎとアキレス腱が痛くなり、さらに開幕後、広島の北別府学の投球を右手小指に受けてしまいました。このときは腫れと痛さだけで骨折はしていないと思ったのですが、スライディングで手を突いた際に病院に行ったら骨折していました。

　ケガの出遅れだけじゃなく、気持ち的に最初から乗れなかったシーズンでもありました。理由は仙さんへの違和感です。

　最初に「あれ？」と思ったのが、仙さんが「走れ、走れ」と言ってきたことです。現役時代、仙さんが練習で走っているのを見たことがなかったのに、いきなり言われて、「あんた、自分が走ってなかったのに、よく言えるな！」と思ってしまったのです。僕はそういうのが一つ引っ掛かるとダメになってしまいます。いつの間にかあら捜しのように仙さんを見るようになってしまいました。

　今、思えば、僕がおかしい。僕が一緒に一軍でやったとき、仙さんは、もう引退間近のベテラン選手でした。仙さんだって若いときは走ったのだろうし、もっと言えば、スポーツ選手だから走って当たり前です。監督に「走れ！」と言われたら、言われたとおり走ればいいだけです。

　仙さんへの不満が顔や態度にも出てしまっているのが、自分でも分かりましたが、気分が乗らない、監督と合わないなんて、プロにとっては言い訳にもなりません。給料をもらっている仕事ですから自分が損するだけです。繰り返しますが、考え方がガキでした。

決定的だった交代劇

　僕の中で決定的だったのは、いつだか覚えていませんが、地方球場での巨人戦です。クロマティの当たりが、センターとショートの間に上がった。僕は長打を警戒し、深い位置に守っていたので、必死に前進して追いましたが、ショートの宇野勝が「オーケー、オーケー」と言っていたので止まったら、打球がポトンと2人の間に落ちてしまいました。

　そしたら、なぜか僕が交代です。ベンチに戻ったら、仙さんが「なんで捕らないんだ！」と怒鳴っていましたが、返事をする気もせず、黙っていました。あれだけ深く守っていたのですから、たぶん間に合わなかったし、ショートが「オーケー」と言ったから、バックアップに入った。すべて当然のプレーです。

　仙さんは守備のミスが出たので、どちらかを代えることでチームを引き締めたいと思ったのかもしれません。平野なら分かってくれるだろうと思ったのかもしれませんが、僕は割り切れなかった。「なんだ、これは！」と思ってしまったのです。そこからは、仙さんの言動の何もかもが嫌になって、いつもムカついていました。

　当然、仙さんも分かっていたと思います。その後、出番が減り、出ても気が入ってないから、成績もパッとしないままシーズンが終わってしまいました。