1987年6月13日、衣笠祥雄はルー・ゲーリッグの記録を抜き、当時の世界記録となる2131試合連続出場を達成した。176センチ、73キロの決して大きくはない体で度重なる負傷を乗り越え前人未到の境地にたどりついた“鉄人”。
広島市民球場の大観衆の中でマイクを持つと、万感の思いを次の言葉に託した。「私に野球を与えてくださった神様に感謝します」
衣笠は47年1月18日、母・キヌさんとアメリカ人の父親との間に生まれた。「僕がハーフでなかったら、ということは考えたくないことですが、もしそうでなかったらプロ野球選手になれたかどうか分からない。なりたいとは思ったでしょうけどね」と自身も語っているとおり、野球との出合いは、その出自と無関係ではない。
自分の外見が周囲と違うことについて人知れず悩みを抱え、ともすれば内向的になりがちだった少年時代、衣笠を支えたのが野球だった。
肌の色などは関係なく、実力だけがすべてを決めるグラウンドで、衣笠はひたすら野球に打ち込んだ。その先にあったのがプロ野球の舞台。
79年8月1日の
巨人戦で
西本聖の
シュートを左肩に受け肩甲骨を亀裂骨折したときには、病院のベットの上で「大丈夫だ。左肩以外は全部動く。試合に出るぞ」と叫んだという。「野球が楽しいから試合に出る。野球をしているときが自分にとって一番幸せな時間。死ぬまで野球がやりたい」とは連続出場が2000試合を超えたころの言葉。野球人生の原点でもあるグラウンドへの思いが、足掛け18年に渡る大記録を生んだのである。
写真=BBM