文=大内隆雄
立て続けに国税庁長官と財務事務次官が辞任してしまった財務省の醜態には、毎年確定申告で苦しむ身には「こんな役所に税金を取られていたのか(あえて納めていた、とは言いません)。ふざけるな!」と怒りを抑えることができなかった。
プロ野球選手も確定申告の時期が来ると大いに悩むことだろう。以前の一部選手の脱税事件は恥ずかしいことだったが、昔から高年俸のプロ野球選手と国税当局は“対決”してきた。
戦前の職業野球時代からこの問題に心を砕いてきたのは、鈴木龍二元セ・リーグ会長(故人)だった。戦後、プロ野球は爆発的なブームを迎えたが、選手たちは、お金に関しては極めてアバウトな考えしか持っておらず、納税の時期にスッカラカンなんてことがしばしば。鈴木さんは、元国民新聞(現東京新聞)のラツ腕記者で、あらゆる方面に人脈を持っていた。で、戦後のプロ野球を安定した軌道に乗せるために、国税当局に食い下がり、「選手の生活は厳しい。とにかく3割を無条件で控除してほしい」の要求を通した。選手は給料の3割を控除されたところから必要経費を計算すればいいのだから、かなり助かる(30%にどれだけ上乗せできたかは分かりませんが)。
10年ほど前、キャンプ地の宮崎から
巨人・
内海哲也投手がパソコンで確定申告をしてニュースになったが(もちろん、国税当局の納税キャンペーンの一環)、このとき、年俸が1億円で、課税対象額は7000万円と数字でハッキリ出ていた。「ああ、鈴木さんの30%が生きているんだなあ」と思ったことだった。
鈴木さんは、故・正力松太郎読売新聞社主の手足となって働いたのだが、それ故、「読売(=巨人)の番頭」なんて揶揄されたこともあった。しかし、1978〜79年の“江川騒動”の際は巨人の要求をハネつける毅然とした態度を示した(最後は当時の金子鋭コミッショナーに押し切られたが……。巨人は鈴木さんに、例の“空白の一日”作戦を伝えていなかった)。80歳を過ぎても健脚で、われわれ新聞記者は、しばしばまかれてしまった。
写真はNHK・志村正順アナ(右)と握手する鈴木さん。その右は
鶴岡一人南海監督(1957年)。戦前からプロ野球のために苦労した人たちだ。