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山下泰裕さんとの対談でホトホト感じ入った故・衣笠祥雄さんの素晴らしい人間性【おんりい・いえすたでい】

 

文=大内隆雄


“鉄人”衣笠祥雄さんが亡くなった。筆者は2、3度、割合長い時間の取材をさせてもらったことがあったが、印象に残っているのは、1986年の山下泰裕さん(全日本柔道連盟会長)との「週ベ」誌上での対談だ。ロス五輪金メダリストで、国民栄誉賞受賞者の山下さんは「衣笠さんをあまりよく存じ上げていないので……」となかなかOKを出してくれなかったが、いざ対談を始めると、上機嫌になった。これには衣笠さんの“気配り”があった。

「私は小学6年生まで柔道をやっていたんですよ」と衣笠さん。さらに「小学生は黒帯がもらえないので、中学で取るぞ!と意気込んだのですが、中学に柔道部がなかったので野球へ行っちゃったのです」と付け加えた。これで“世界の山下”も相好を崩してしまった。ダメ押しは「今回、あのまま柔道やってりゃあ、オレもオリンピック選手になってたかもしれないなんて思いも湧いてきたりしてね。でも、山下さんの体を見て、あきらめました。妄想でしたね」。これで大笑いとなった。

 とにかく人をそらさないのである。それも、わざとらしさがまったくない。これこそいわゆるひとつの人間性だ。広島の若手時代、物心両面で面倒を見た名スカウトの木庭教さんによると、「彼の人間性は自分で磨いたんですよ。若いころはアメ車をブッ飛ばす無鉄砲なヤツでした。免許証を取り上げたこともあった。それが野球で力を発揮し始めると、人間もどんどん素晴らしくなっていった。普通はどんどんエラそうになるものですが、衣笠はその反対でした」。

 しかし、衣笠さんには、頑固な一面もあった。食事に関してだけは、人の意見を聞かなかった。親友の田淵幸一さん(元阪神西武)がラジオで言っていた。「とにかく肉ばっかり食ってた。野菜もとらんといかんぞと言うと、あんなの牛の食うもんだ、とくる。それとタバコも何度言ってもやめなかったなあ」。このへんはフルスイングへのこだわりと通じるのかも。

 今回はちょっといわくのある写真を。64年の平安高時代の1枚だが、帽子のマークが「H」なので、広島の新人時代のものと思い込み、2度ほど編集部で間違って使われた(だれだ、まったく。赤っ恥ですが)。もし、捕手・衣笠で通していたら、どんな選手になっただろうか。

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