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メシくらいちゃんと食わせてよ!【大島康徳の負くっか魂!!第59回】

 

当時のホテルです。懐かしいな


キャンプ初日のメシに絶句


 前回は、パ・リーグで対戦したピッチャーについて書いてみましたが、今回は、日本ハムに入ったばかりのころの話をします。ちょっと以前の回と重なる個所もありますが、強烈に思い出してしまったんで、この際、一気に書かせてください。人間、言いたいことをためておくといいことありませんからね。

 プロは、チームが勝つことが最重要ですが、そのためには、しっかり自分の成績を残すことに尽きるとドラゴンズ時代は思っていました。ただ、日本ハムに来たら違うんですよ。それ以前の問題として、大前提の「勝利を目指す」という部分に選手、首脳陣、球団の目が向いてない。

 選手は、みんなマジメで素直な男ばかりです。それはとてもいいことなんですが、正直、あまりにマジメ過ぎる。コーチや監督に逆らえと言っているんじゃないんですよ。でも、プロというのは、言われたとおりやっていればいいわけじゃない。自分に信念があれば、口では「はい」といっても、言われたことの反対をするものです。そんな気合の入った選手、1人もいなかった。あれじゃ、勝てません。プロたる者、もっと自分の個性を出さなきゃいけないんです。

 で、忘れっぽい僕が、強烈に当時を思い出したきっかけが、キャンプ初日の「メシ」です。たかが「メシ」と思われるかもしれないけど、僕が食いしん坊というだけでなく、野球選手にとって、食事というのは、非常に大切なことなんです。

 今でもはっきりと思い浮かびます。名護のキャンプ初日の夜です。日本ハムの選手は、みんなマジメだから、外食もせずに食堂に集まってきた。僕もたっぷり練習して疲れていたし、近くにうまそうな店もなかったんで、今日は最初だから宿舎で食べようと思ったんです。

 席に着くと、ナイフとフォークが各席に4本並んでいる。これはメーンが2品ということですよね。「さすがお肉の会社。お肉をいっぱい食べさせてくれるのか!」と思って期待して待っていたら、まずは、熱帯魚の親分みたいな魚のあんかけが出てきたんですよ。

 まあ、いいでしょう。魚だって栄養たっぷりです。見た目は悪いが、うまいんでしょう。最初の一品なら文句はありません。ただ、僕の頭の中はもう肉でいっぱいです。「これはスルー。俺は肉しか食わん」と言って待っていたんですが、なかなか出てこない。「まだ?」って聞くと、「もう何も出てきませんよ。魚がメーンディッシュです」と……。

 瞬間、頭の中で何かがプツンと切れました。聞いたら、ずっと毎日、ごはん、味噌汁、魚料理だったらしい。修学旅行じゃあるまいし、です。びっくりしたのは、日本ハムの選手が何の文句も言わないことです。ドラゴンズだったら、選手全員から大ブーイングですよ。特にキャンプ中は、食事が唯一の楽しみなわけですからね。僕はすぐに代表にも直談判しました。

「食事、どうにかしてくれ、こんなプロチームがあるかい!」

 同時に、名古屋の知人に電話を入れて「肉だ、肉。あとは力が付きそうな食材をじゃんじゃん送ってください!」と頼みました。知人もすぐ手配してくれ、肉30キロとか、スッポンとかが届き、それを選手みんなで分けて食べました。

 もちろん、いまはまったく違うんでしょうが、当時は、親会社が食の会社なのに、選手の食に対して何の配慮もなかった。オレンジジュースを注文したら、果汁数パーセントのジュースが来たりね。スポーツ選手なんだから、そこは100パーセントでしょう! とにかく、プロ野球の食事じゃなかったんです。

 しかも、しかもですよ。これはキャンプではなく、遠征先でのことですが、すき焼きが出て、卵を追加で注文したら、「50円です」と言われた。いちいちお金を要求されるんです。「ふざけるな、バカヤロー」ですよ。体が資本のプロ野球なのにね。お前たちは勝ちたくないんか!50円の卵ケチってどうするの。

こんなん、着れる?


 もう一つ、球団の悪口を思い出しました。ユニフォームの洗濯です。当時、日本ハムだけだと思うんですが、寮に大きな洗濯機があって、練習や試合が終わったら、そこで洗濯をし、そこから球場に運ぶシステムでした。キャンプ中もクリーニングに出すんじゃなく、球場の中で洗濯するんです。しかも、その洗濯物をどこに干すと思いますか。球場とエアドームの間の通路のところにネットを張って吊るすんですよ。穴が開いたパンツがあったり、名前の入ったユニフォームがあったり。ファンからも当然見えます。恥ずかしくなりました。

 しかも名護の球場は、海に面しているんで潮風。天気がよくてもカラッとは乾かないんですよ。だから、最終的には乾燥機にかけるんですが、色落ちする、縮む、シワだらけになるで、とてもプロ野球選手のユニフォームじゃない。これもすぐに文句を言いました。実際に持っていって、「こんなん、着れます?」と。

 すると、ユニフォームとパンツだけクリーニング屋に頼むようになったんですが、アンダーシャツやストッキングは出さないんですよ。たぶん、ケチっているわけではなくて、お金の使い方が分かっていないんでしょうね。大島がユニフォームで怒っているから、ユニフォームは出そう、でもアンダーシャツは言ってなかったからいいんだろうって……。

 これもキャンプ中ですが、当時、日本ハムというか、名護の施設には雨天練習場がなく、その期間だけエアドームを設置していました。

 ただ狭いんで、雨が降ると、野手は消防署の倉庫みたいなところにネットを張って、ティー打撃をしていました。でも、ネットを含めて1年間、まったく使っておらず、掃除もしてないようなところなので、最初は1球打つとホコリがブワーッと舞い上がる。もうやる気にならんですよ。それで「練習やめや、掃除してからだろ!」と言うと、コーチの与那嶺要さんが「OKだよ」って優しく言ってやめさせてくれました。

 こんなに異常な状況でも、日本ハムの選手たちは文句ひとつ言いません。他球団を知らない選手は、これが当たり前に思っているんでしょうね。僕だけが、「あり得ないだろう!」と毎日、大騒ぎしていました。

 その後、横浜大洋から若菜嘉晴(1989年)、巨人から角三男(89年。90年から盈男)、広島から金石昭人(92年)と、僕同様のうるさいヤツらが立て続けに移籍してきた。みんなが遠慮なくガンガン言うようになって、どんどん環境が改善されていきましたね。やっぱり、思っていることは口に出して言わなきゃね。


 最後になりますが、

 先輩・衣笠祥雄さんがお亡くなりになりました。名球会でハワイに行くと、僕たち家族は、いつも衣笠さんと同じテーブルにつけたらと思っていました。ダンディーで、いつも笑顔で、決して人の悪口を言わない。僕らは、衣笠さんが大好きでした。本当に寂しいです……。

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