1980年代にセ・リーグに在籍した助っ人は全部で78選手だったが、パ・リーグは68選手となった(支配下登録選手のみ)。大活躍をした助っ人もいれば、期待外れに終わった助っ人も……。 ※ポジションは登録のもの。成績は80年代のパ・リーグ球団在籍時の通算成績 ブーマー(阪急・オリックス1983-91) 助っ人初の三冠王となった巨漢

ブーマー内野手/アメリカ/通算852試合、1087安打224本塁打、706打点12盗塁、打率.328
選手名鑑の身長、体重は「200cm100kg」と超アバウト。その巨体から放たれる豪快なホームランで「ブームを呼ぶ男」にという期待から、ニックネームの「ブーマー」を登録名とした。1年目は17本塁打も、日本野球に慣れた2年目の1984年に実力を発揮、打率.355、37本塁打、130打点で外国人選手では初の三冠王となって阪急にリーグ優勝をもたらし、MVPに。柔らかいハンドリングの一塁守備でゴールデン・グラブ賞も2度受賞。
郭泰源(西武1985-97) 快速球“オリエント・エクスプレス”
相手を圧倒する150キロの快速球から“オリエント・エクスプレス”の異名を取った右腕。
西武ライオンズ球場(当時)のスコアボードに初めてスピードガン表示されたのは、郭の入団がきっかけだった。来日1年目の85年6月4日の
日本ハム戦(平和台)では早くもノーヒットノーランの快挙を達成した。140キロ超の高速スライダー、右打者の懐に鋭く食い込むシュートも大きな武器に。4年目の88年には・・・
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