現実を見つめ、自身の立ち位置を確認し、課題を克服できる。高校時代から定評のあったクレバー右腕は、大学、社会人を経て、グレードアップしている。 取材・文=依田真衣子 昨年の都市対抗1回戦(対JR東海)では7回途中無失点で勝利投手となり、初戦突破に貢献した[写真=佐藤博之]
関根智輝は高校時代に「都立の星」と呼ばれた。過去に夏2回(1999、2001年)の甲子園出場実績のある城東高で、関根は2年秋、3年春の東京都大会8強。そして、3年夏は準々決勝で帝京高を撃破し、15年ぶりの4強進出へと導いた。
AO入試で進学した慶大では、1927年の
宮武三郎以来、同校では90年ぶり2人目の1年生開幕投手を務め、5回1失点で勝利投手。本格派右腕として、NPBスカウトからも注目されてきた。だが、社会人での1年を終えた今が「最もプロに近いところにいると思う」と自己分析する。
「この1シーズンが一番、成長できたと思います。シンプルに、投げるボールが強くなった」と語る。慶大では挫折を経験した。1年春に2勝、同秋に3勝をマークした関根だが、2年生の8月、トミー・ジョン手術を受けた。長く苦しいリハビリを経て、実戦復帰できたのは4年春。ただ、同期の
木澤尚文(現
ヤクルト)らが台頭するなど投手層の厚いチームにあって、登板機会に恵まれなかった。「あのときに志望届を出していても、きっと指名漏れしていたと思います」。プロ志望届を提出せず、名門・ENEOSへの入社を決めた。
同社は、関根が慶大3年まで指導を受けた
大久保秀昭監督が指揮。関根の素材を高く評価する指揮官の下、ルーキーイヤーから社会人二大大会で場数を踏んだ。6月の日本選手権1回戦(対JR九州)で先発を任されると、11月の都市対抗1回戦(対JR東海)でも先発し、7回途中3安打無失点で勝利投手となった。
「信頼まではいかないかもしれないですけど、期待されているんだなとは思いました。1年間、1戦目でずっと投げさせてもらいましたし、すごくありがたい、いい経験になったと思います」
東京ドームデビューを白星で飾った都市対抗で・・・
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