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野球浪漫2025

巨人・森田駿哉 “回り道”なんてない「遠回りしたと言われるけど、そうは思っていない──」

 

高校時代から将来を嘱望されながら、紆余曲折を経てようやくプロの世界にたどり着いた。だが、決して「回り道」ではない。長い時間を掛けたからこそ、今の自分がある。29歳で3年目の来季を迎える左腕は、自らの投球でそのことを証明していく。
文=北川修斗(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、BBM


大学時代の蹉跌


 プロ通算3登板目で巡ってきた初先発の機会。森田駿哉は、そのチャンスをしっかりとモノにした。2年目ながら28歳の苦労人が、8月6日のヤクルト戦(東京ドーム)で6回2安打無失点の好投を見せてプロ初勝利。富山商高時代にU18日本代表に選出されるなど、アマチュア時代から名を馳(は)せてきた左腕が、ようやくプロ野球選手としての第一歩を踏み出した。

「まだスタートに過ぎない。反省もたくさんあるので、振り返ってしっかり練習していきたい。もっと期待に応えられるようにやっていきたい」

 喜びよりも安堵(あんど)の表情が目立っていた。マウンド同様に、お立ち台、囲み取材でも初々しさはない。飄々(ひょうひょう)と、淡々と言葉を紡ぐ。サウスポーの歩んできた道が“異色”とも言えるからこそ、その姿が際立った。

 世代のトップランナーのひとりだった。1年の秋にはベンチ入りし、2年秋からエースナンバーを背負った富山商高では3年夏に甲子園出場。初戦の日大鶴ヶ丘高戦では6安打8奪三振で完封勝利を挙げ、視察したスカウトを「今大会に出場している左投手ではトップクラス」とうならせた。

 2回戦の関西高戦でも9回二死まで無失点。走者を二塁に置き、右前にポトリと落ちる不運な適時打で2試合連続完封こそ逃したものの、11奪三振の完投勝利でチームに41年ぶりの夏の甲子園2勝をもたらした。3回戦の日本文理高戦では7回を投げ7安打3失点(自責1)。降板後に逆転もサヨナラで3回戦敗退となったが、大きなインパクトを残した大会になった。

 世代屈指の大型左腕として、U18日本代表に名を連ねた。現在はロッテ小島和哉西武高橋光成岸潤一郎ソフトバンク栗原陵矢、そして巨人で共闘することになる岡本和真岸田行倫。そうそうたるメンバーの一員としてU18アジア選手権に出場した。決勝の韓国戦で先発を任されると、スタメン9人中8人が韓国プロ野球からドラフト指名を受けている強力打線に対して8回1/3を2安打2失点(自責0)。惜しくも敗戦となったが、世界の舞台でも堂々たる投球を見せた。

 プロからも注目を集める中で、法大に進学した。1年春のリーグ戦では開幕戦の慶大戦に先発し、6回4安打10奪三振、無失点の快投。東京六大学野球では2007年の早大・斎藤佑樹以来、3人目となる1年春の開幕戦勝利を飾った。主戦投手として6試合に先発するなど7試合に投げて1勝2敗、防御率3.60。ハイレベルな東京六大学リーグにおいて30イニングで28三振を奪うなど、結果を残して順調に道を歩み始めていた。

 大学からドラフト上位でプロへ。周囲も信じて疑わなかったが、ここから苦難の道のりが始まる。リーグ戦後の1年夏に左肘の肘頭骨折が判明。保存療法を選択したが痛みは治まらず、2年冬に手術を余儀なくされた。「肘が痛過ぎて何も考えられなかった。普通に練習とかはしてましたけど、痛くて。その日その日をどうやってやるか、朝起きたら『今日は痛くないかな』とか、そう思うことしかなかった」と苦しい日々を振り返る。

 故障当初は3年までに完全復活できれば大丈夫と楽観視していた。投げられない期間にウエート・トレーニングなどに取り組むも、思うような手応えを得られず。「何してもうまくいかない。いろいろなことしても全然うまくいかなかった」。4年春にようやくリーグ戦復帰を果たしたが、東京六大学通算勝利は1年春の開幕戦の1勝のみ。プロ志望届を提出するも指名漏れとなり、社会人野球のホンダ鈴鹿へと進んだ。

芽生えた責任感


 投げたくても投げられなかった大学時代を経て・・・

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