今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 すべてが手探りだった第1回
1965年11月17日第1回ドラフト会議(日生会館)
[1位選手(×は入団せず)]
近鉄
田端謙二郎(電電九州)
サンケイ 河本和昭 (広陵高)×
東京
大塚弥寿男(早大)
広島 佐野真樹夫(専大)
阪急
長池徳二 (法大)
大洋 岡正光 (保原高)
西鉄 浜村孝 (高知商高)
阪神 石床幹雄 (土庄高)
東映
森安敏明 (関西高)
中日
豊永隆盛 (八代第一高)
南海
牧憲二郎 (高鍋高)
巨人
堀内恒夫 (甲府商高)
最初ということで球団関係者も、報道陣も、だれもが、そして、すべてが手探りだった。
各球団はドラフト会議の7日前までに「希望選手名簿」をコミッショナー事務局に提出。記載人数は最大30人で、そのうち12人以内に獲得を希望する順番に順位をつける。これにより1球団だけ1位をつけた選手は、自動的にその球団に交渉権が確定し、2球団以上が重複している場合は抽選となる。さらに、それに外れたら2位希望選手を選択し、それも重複したら、また抽選。これを繰り返しながら、まず1位を決める。これが第一次選択だ。
2位以下の第二次選択は最下位球団からのウェーバー順に、希望選手名簿に記載した選手の中から順次指名する。この際、当初つけた希望順位は一切無関係。希望順位をつけなかった選手を真っ先に指名することもできる。
フタを開けてみると、希望順位1番の選手が他球団と重複して抽選になることを恐れるあまり「本当に一番欲しい選手」ではなく「他球団と重複する可能性が低い選手」を1番に置いた球団が目立った。1位指名で重複したのは、森安に東映とサンケイ、田端に近鉄、広島がかち合っただけ。クジ引きの結果、森安は東映、田端は近鉄が交渉権を獲得した。
阪神が1位で、まったく無名の投手・石床を指名すると、あちこちから「誰だ?」の声が挙がったが、指名の重複を避けようとする各球団の駆け引きにより、かなりギクシャクというか、正直「なんで1位に」という選手がたくさんいた。巨人は、その後、9連覇時のエースとなる堀内を単独指名。堀内以上の評価があった銚子商高の右腕・
木樽正明はウェーバー順となった2位の3番目で東京が指名したが、「ウチの子どもがウェーバー?」と父・辰五郎さんは怒りが収まらぬ様子だった。
1位指名で大成したのは、堀内と長池だけ。森安も入団時は光ったが、黒い霧事件で永久追放となった。
また、この年のドラフトの出世頭は阪神が1位で指名するとウワサされていた育英高の左腕投手・
鈴木啓示だ。2位で近鉄入団後、通算317勝を挙げることになる。打者では市和歌山商高から2位で阪神に入った
藤田平が虎ひと筋で通算2000安打を達成。さらに広島3位に
水谷実雄(宮崎商高)、中日3位に
広野功(慶大)がいた。
<次回に続く>
写真=BBM