3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 二刀流を夢見たジャンボ仲根
今回は『1973年1月1・8合併号』。定価は130円。
ニカラグアでのアマ世界選手権中、ドラフトで東映に1位指名され、「一番きらいなチームに指名されてしまった」と拒否発言。大波紋を投げかけたのが、日本楽器の
新美敏だ。
72年の都市対抗で優勝、自身は橋戸賞を獲得し、即戦力と言われた右腕である。
これに過剰反応したのが東映。それでなくとも球団身売り説で大きくイメージダウンしていただけに、東映・岡田社長が「金はいくらでも出す。必ず取れ」と大号令。
帰国の際にはスカウトだけでなく、球団代表、
田宮謙次郎監督までもが羽田空港にやってきて誠意を見せた。
これに驚いたのは新美。自身の“爆弾発言”を聞き、
「まさか。僕はそんな強烈なことは言いませんよ。一番希望していた球団ではなかった、と言ったのが誤解されてオーバーになったんじゃないですか」
と話していた。
確かにドラフト前、新美は「どの球団でもOK」と言っていた。
また交渉が難航していた日大桜丘高の
仲根正広の近鉄入団が決まった。
本人の希望は二刀流。
「バッティングなら長嶋さんのように、ピッチングなら村山さんのようになりたい。投手で四番、登板しないときは一塁か外野で四番をやってみたい」
と夢を語っていた。
では、またあした。
<次回に続く>