救援タイプを先発させて
近年のように投手分業制が確立しておらず、まだ先発した投手は完投するのが基本であり、救援を専門とする投手も連投のロングリリーフも当たり前だった時代、1980年のヤクルトで、就任したばかりの
武上四郎監督は前代未聞の奇策でスタートダッシュを試みた。先発タイプの投手には先発させず、救援タイプの投手を先発させて数イニングで交代、あとを温存していた先発タイプの投手がロングリリーフで抑えるという作戦だ。
開幕2戦目の
中日戦(ナゴヤ)で先発したのは
神部年男。近鉄ではけん制球の名手として鳴らし、阪急(現在の
オリックス)の“世界の盗塁王”
福本豊を苦しめたことでも知られる左腕で、最優秀防御率こそないもののリーグ2位は2度、2ケタ勝利は4度を数え、ノーヒットノーランを達成したこともあるなど、もともとは先発タイプだが、ヤクルト移籍2年目、プロ11年目で、すでに37歳となるベテランとなっていた。神部は2回を無失点で抑えるも、3回には降板。もちろん突発的な故障などのアクシデントがあったからではなく、予定どおりの交代だ。
それ以前にも、ひとまず控えの投手を先発のマウンドへ送り、打線の左右で交代させる“偵察登板”の例はあったが、この作戦を進化させた形。だが、いずれにしても“先発”する投手は損な役回り。立ち上がりを打ち込まれて敗戦投手となることはあっても、どんなに好投しても勝利投手となることは絶対にないのだ。これが効いたためかは定かではないが、結果的にヤクルトは前年の最下位から2位に浮上したものの、この作戦は自然消滅。エース右腕の
松岡弘は9完投、4完封で13勝を挙げて、防御率2.35で最優秀防御率。4年目で左腕の
梶間健一は11完投、2完封でチーム最多の15勝を挙げている。
一方、この80年には
巨人の
王貞治に通算868号、つまり最後の本塁打を献上したことでも名を残す神部は、翌81年にはリリーフに回って1勝10セーブ。新境地を開いたかに見えた矢先、40歳までは現役を続けたいと思っていたというが、その翌82年のオープン戦で左ヒジを痛めて、そのまま登板なくオフに引退した。
文=犬企画マンホール 写真=BBM