4年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 相変わらずのペピトーン
今回は『1973年9月17日号』。定価は100円。
1973年8月22日、ヤクルトの佐藤球団社長と浜田事務局長がサンフランシスコ経由でキューバ入りをした。親会社のヤクルトはブラジルに工場を持ち、共産圏のキューバとはパイプがあったという。
当時、アマ最強を誇り、メジャーより強いとも言われていたキューバナショナルチームのセカンド、フェ
ニックス・イサシの獲得のためである。
この年、
三原脩監督率いるヤクルトは打撃不振もあって低迷。
ロバーツの代わりにメジャーの大物ペピトーンを獲得したが、この男、とにかくサボりクセがあって、8月終盤になってもほとんど活躍せず、手が痛い、アキレス腱が痛いと休んでばかりいた。
イサシは日本の社会人選抜が出場したニカラグアのアマチュア世界選手権で大活躍し15試合で打率.333、5本塁打、守備でもスーパープレーを連発していた。
穏やかじゃないのは、おそらくイサシを獲ったらクビになるロペスだ。
ヤクルト幹部の動きを球団からではなく、
中日のウォーリー、
与那嶺要監督から教えてもらったらしく、
「日本の外人選手の扱いはクレージーだ。どのくらい働くか未知の選手を大歓迎し、実績あるオールド外人はミソクソ。一体、どこに基準があるんだ」
と愚痴り、そのあと退団濃厚となると、
「僕は心配してない。日本のほかの球団にテスト生で入って、再スタートして浮かび上がってみせるよ」
と言っていた。
なお、イサシ獲得の条件として陸上、バレーボールのコーチを日本から派遣することで、まずは交渉がOKになり(経費はヤクルト負担)、帰国した2人は「入団の可能性は五分」と話していた。
ちなみにペピトーン。離婚がらみでの一時帰国から戻ったあとバッティング練習でできた手のひらの豆が痛いと休み、20日には
阪神戦(神宮)の前に「足が痛い」と言い、アキレス腱の炎症の診断を受け、また休み。「きのうの試合で外野を守ったから」という理由に「たった1試合でか」と記者に聞かれると、
「実は試合前のランニングでグラウンドのくぼ地に足を取られたんだ」
と言い訳。これにはすぐランニングコーチが、
「そんなはずはない。彼は一歩も走らなかったのだから」
とあきれていた。
三原監督は、
「仕方ありませんな。でも走れないだけで目は見えるんですから、ベンチに入れて相手投手を観察させます」
と話していたが、さて。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM