
2001年限りでユニフォームを脱いだあとも、長嶋終身名誉監督[左]は精力的に活動していた[右は原辰徳監督。写真=BBM]
いきなりニューヨークへ
巨人軍の
長嶋茂雄監督が2001年限りで勇退され、終身名誉監督となったときも、03年にニューヨーク・ヤンキースにFA移籍した愛弟子・
松井秀喜の動向は常に気にしていた。その年、松井は「ゴロキング」と揶揄され、メジャー・リーグという野球の最高峰の地で、ずば抜けた球速の本場のムービングボールに翻弄されていた。
その状況を日本で見ていた名誉監督はイライラしていた。居ても立ってもいられない……。
「小俣、行くぞ!」
もちろん、このときも終身名誉監督付き総務部主任を務めていた
小俣進さんは、名誉監督に遅れないように速やかに移動する。目指すはアメリカ東海岸、ニューヨーク。名誉監督は、その日のヤンキー・スタジアムでのナイトゲームの前に、松井にバットを振らせる狙いでニューヨークにやって来たのだ。松井にスイングを命じた場所はマンハッタンにある高級ホテル、あのプラザホテル。それもスイートルームだった。
「いきなりニューヨークに飛んで、プラザホテルでバットを振らせるなんてありえないだろ? でも、あの部屋、いくらしたのかなぁ」と小俣さんは振り返る。
名誉監督のことを知り尽くしてはいても、小俣さんは当時のこうした驚くべき出来事をしみじみと思い出し、「監督はすごいよ」と僕に話してくれた。その日のナイトゲーム、ヤンキースのヒデキ・マツイはマルチ安打を記録した……。チャーリー(小俣さんの愛称)……、ホントにお疲れさん。
審判に謝られて
約3000試合にベンチ入りした熱血漢サブマージャーの所憲佐さんは・・・
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