
プロでは通算70試合登板12勝15敗
褒められたことが裏目に?
このコラムを書いているのは1月4日。本当は、
川上哲治監督の野球とは何ぞやを書こうと思っていたのだが、「その話はあとでもいいじゃないですか」とささやく大男の姿が、俺の脳裏に浮かんでは消える。その男の名前は「
横山忠夫」だ。横山は
巨人軍時代の後輩でもあり、
長嶋茂雄監督1年目の最下位をともに味わった仲間でもある。今日は、その横山の72歳の誕生日なんですよ。70過ぎて誕生日もないだろうと思うが、その日が来ると生きていてくれてありがとうと強く思う一人なんだよね。
横山は、北海道網走市出身。網走南ヶ丘高校ではエースとして投げ、夏の甲子園にも出場。その後、立教大学に進学し、東京六大学野球連盟では、70年秋季リーグの東京大学との対戦でノーヒットノーランを達成。そして、71年秋のドラフト1位指名で巨人軍に入団。身長181cm、体重81kg。右の本格派と期待され、真っすぐは速いし、フォークはすごい落ち方をした。川上監督は1年目から一軍で起用。先発として5回チャンスをもらったが、1勝3敗に終わる。川上監督は良くも悪くも切り替えが早いし、選手を良く見ている。横山に関しては「自分のボールに責任を持たない」と言い、入団2年目の73年、先発は1回だけだった。
横山のプロ野球人生を振り返ったとき、彼が自慢としていることが2つある。一つは、立教大の先輩でもある長嶋茂雄さんの現役最終試合でのことだ。「わが巨人軍は永久に不滅です」と語った引退あいさつのシーン。その長嶋さんの背後をまるで金屏風のように輝いていたスコアボード。「ミスターG 栄光の背番号3」の文字がひときわ目立っていたが、その歴史的スコアボードの巨人軍のピッチャーには「横山」の名前がある。長嶋さんの引退にまつわる話には必ずと言っていいほど出てくるこのシーン。俺の名前も出ていると、満面の笑顔でいつも誇らしげに語っているよ。
もう一つは75年、長嶋監督1年目で最下位の年。川上監督から長嶋監督に代わり、横山は先発ローテーション入りを果たす。チーム成績47勝のうち、球団トップの勝ち星が俺の10勝(18敗)。それに続くのが横山の8勝。しかも負けが7つで、唯一の勝ち越し投手ときたもんだ。横山はこの「勝ち越し」という響きを、今でも、えらく気に入っている。
ここまでが自慢の話だが・・・
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