
1981年に後楽園球場の敷地内に建立された「鎮魂の碑」は現在、東京ドーム沿いの公道に面した地点にある[写真=桜井ひとし]
彼らの名前を忘れるべきではない
セ・リーグ会長の鈴木龍二が、強い決意を抱いてNPBコミッショナー・下田武三のもとを訪れたのは、1980年春のある日であった。
鈴木は事務方として、戦前に職業野球と呼ばれていた時代から長くプロ野球に関わってきた。そんな鈴木には86歳になってなお、すっと頭から離れない思いがあった。
「戦死したプロ野球選手を、そのまま放っておくことはできない。知らん顔しているわけにはいかない」
NPBのリーグ戦が開始されたのは36年である。翌37年に日中戦争が勃発すると、それはやがて太平洋戦争へと拡大した。45年8月に終戦を迎えるまで続いた戦争の歴史は、職業野球の歴史とほぼ軌を一にしていた。多くの若者が戦地に駆り出されたが、野球選手も例外ではない。無数の命が、志半ばでグラウンドを去る悔しさと一緒に失われた。
戦後、プロ野球は国民的娯楽になるまで発展した。その礎を築いた彼らの功績を永久に讃たたえる何かを残さなければならない。プロ野球は、戦死した彼らの名前を忘れるべきではない。それこそが鈴木の悲願だったのである。
「今日は折り入ってお願いしたいことがあります」。鈴木は下田にそう前置きすると・・・
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