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【1983年4月10日】初打席満塁アーチの衝撃! そこから17年、「満塁男」と呼ばれ続ける

 

写真は左から三塁走者だった原辰徳、一塁走者だった淡口憲治、打った駒田、二塁走者だったレジー・スミス、一塁ベースコーチだった末次利光コーチ。手前は次打者の山倉和博


二軍で何度も対戦していた


 駒田徳広は高校時代、満塁にまつわる「伝説」を残している。

 1980年の春季奈良大会、エース兼四番の駒田を擁する桜井商高は、決勝で強豪の天理高と対戦した。2回、二死満塁で駒田が左打席に入った。結果はボール球が4回続けて投じられ、押し出しとなった。天理バッテリーは、無理に駒田と勝負しようとはしなかった。

 191cmと長身の駒田は、79年に本塁打王を獲得した近鉄の外国人選手になぞらえ「マニエル二世」と呼ばれていた。高校通算成績は、打率.490&43本塁打。その驚異的な打棒を警戒されたのである。

 話はこれで終わらない。8回に再び満塁で打席に立った駒田は、場外まで飛ばす特大の一発を放つ。やはり駒田は恐るべき打者であった。

 駒田がそれほどの活躍を見せながら、桜井商高は8対13で敗れた。なぜならば、「投手・駒田」が天理打線に13個もの四球を与えたからである。勝敗はともかく、満塁で真っ向勝負を避けられたというエピソードは、やがて満塁で敬遠されたと尾ひれがついて「伝説」となった。

 結局、甲子園には縁がなかったが、そのスケールの大きさを評価された駒田は81年・・・

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