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特集・激動の「平成プロ野球」回顧録

写真で見る平成のプロ野球

 

野茂が開いた世界への扉


写真=AP



 近鉄のエースだった野茂英雄が1995年、ドジャースへ移籍。1年目から13勝6敗、リーグ最多の236奪三振と新人王を獲得するセンセーショナルな大活躍を見せると、日本プロ野球でトップに上り詰めた選手もそうでもない選手も、さらにはプロ入りしていない選手も含めた多くのプレーヤーが、海の向こうを最終目標とするようになった。また、それ以外でも日米間の移籍に関するルールが整備されたり、「代理人」と呼ばれる人々の必要性に理解が深まったり、アメリカ野球の歴史的、文化的側面が日本国内でも広く知られるようになるなど、一言でいえば「野茂の渡米」がその後の球界のさまざまな価値観を一変させたといえる。野茂の存在は、それほど後世へ大きな影響を与えた。





天才打者、現る




 1994年。プロ3年目の鈴木一朗外野手(オリックス)が「イチロー」と改名してレギュラーを獲得すると、天才的なバットコントロールと驚異的なスピードで史上初めて200安打を突破し、シーズン210安打のプロ野球記録を樹立(当時)した。その後もイチローは日本球界のトッププレーヤーとして君臨し続け、01年にマリナーズ入りするとメジャーで10年連続200安打。04年にはメジャー記録のシーズン262安打を達成した。現在はヤンキース所属。

第1回WBC優勝




 2006年に初開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。王貞治監督(当時ソフトバンク監督を兼任)率いる日本代表は激戦を制し、見事第1回のチャンピオンに輝いた(写真)。2009年に開催された第2回大会も原辰徳監督(当時巨人監督を兼任)率いる日本代表が連覇。日本野球の結束の強さを全世界にアピールした。そして今年、山本浩二日本代表監督が大会3連覇の偉業に挑む。

パ・リーグの時代


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