甲子園で幾多の名勝負を繰り広げてきた名門校を紹介する。北は北海道、南は熊本と各地の強豪からは、今夏も目が離せない ユニフォーム写真協力=元祖野球鳥おかむら(http://www.yakyudori.jp/) ●学校創立:1923年
●創部:1923年
●旧校名:中京商~中京
●住所:愛知県名古屋市昭和区川名山町122
●主なOB:
稲葉篤紀(
日本ハム)、
嶋基宏(
楽天)、
堂林翔太(
広島)、
木俣達彦(元
中日)、
水谷則博(元中日ほか)、
紀藤真琴(元広島ほか)、
野口二郎(元阪急ほか)
●甲子園通算成績/通算131勝45敗
●春30回出場(通算55勝26敗)
●夏26回出場(通算76勝19敗)
最多勝、最多優勝の最強チーム 
▲1937年夏、4年生の野口二郎を主戦投手に優勝を飾った中京商ナイン
春4回、夏7回といずれも甲子園最多優勝を果たした最強チームは、今年創部91年を迎えた伝統校でもある。1923年に旧制の中京商業学校として開校。創立者で校長の梅村清光は東海地区の野球熱に目をつけ、学校創立と同時に野球部を創部した。
チームの甲子園デビューは1931年のセンバツ大会だった。三塁手兼控え投手だった吉田正男が3試合連続完封と見事なピッチングで前評判を覆し、決勝進出。だが、広島商に敗れ、準優勝に終わる。
同年夏に再び吉田がエースとしてチームをけん引し、甲子園に戻ってきた。早実との1回戦でサヨナラ勝ちを収めると勢いに乗って優勝。吉田の大活躍もあり、33年にかけて史上唯一の夏3連覇を果たしている。30年代に春夏計5度の優勝を勝ち取り、その存在は際立っていた。

▲66年夏の甲子園を制し、春夏連覇の中京商ナイン。宿舎で優勝旗を囲んで記念撮影
だが、40年春の2回戦敗退を最後に、10年間甲子園に届かず、低迷期に入る。53年に深谷弘次監督、滝部長が就任して、チームの再建を託された。2人はすぐに結果を出し、同年夏の選手権でベスト4に進出すると、翌54年夏に17年ぶりの夏制覇。56年には18年ぶりの選抜優勝を勝ち取った。66年には、当時2校目の春夏連覇を達成。その後は長く栄冠から遠ざかるが、2009年に43年ぶりの夏Vを決めた。
今年は春の県大会で決勝まで勝ち進み、愛知啓成に1点差で敗れて準優勝と、頂点を狙うだけの実力は十分に備えている。2010年以来となる夏の甲子園出場なるか、周囲の期待は高まっている。

▲09年夏、優勝を決めた瞬間のナイン。堂林翔太を投打の軸に圧倒的な強さを見せた
【現役プロに聞く】高校時代の思い出 稲葉篤紀(日本ハム) 88~90年在籍 「高校時代の思い出は、とにかく練習が厳しかった。夏の甲子園の予選前は強化練習として1時間以上、個人ノックを受けるメニューがあって、それが一番嫌でしたね。野球部員は電車で座っちゃいけないというルールもありました。最後の夏は
イチローのいた愛工大名電に敗れました。その試合で、僕が二塁走者でワンヒットで本塁を狙ったんんです。タッチをかわしてセーフになったと思ってガッツポーズしたんですけど、アウト。1点差で負けただけに、すごく悔しかったですね」
●学校創立:1942年
●創部:1945年
●住所:神奈川県金沢区能見台通46-1
●主なOB:
松坂大輔(メッツ)、
成瀬善久(
ロッテ)、
荒波翔(
DeNA)、
涌井秀章(ロッテ)、
近藤健介(日本ハム)、
鈴木尚典(元横浜)、
愛甲猛(元ロッテほか)、
苅田久徳(元
巨人ほか)、
若林忠志(元
阪神ほか)
●甲子園通算成績/通算55勝25敗
●春15回出場(通算23勝12敗)
●夏15回出場(通算32勝13敗)
高校野球界に燦然と輝く4冠 
▲80年は三番・投手の愛甲を中心に苦しみながらもV
現在、プロ野球界に最多となる15人の現役選手を送り出している。創部から18年の63年に初めて夏の甲子園に出場、ベスト4と快進撃を見せた。その10年後に春初出場・初優勝の快挙で再び表舞台に姿を現した。80年は愛甲猛を軸に据え、夏初制覇を成し遂げる。その後も強さを維持し、厳しい神奈川予選を勝ち抜き、甲子園常連校としての地位を確立した。同高が最も強烈なインパクトを残したのが松坂大輔を擁した98年だ。明治神宮大会優勝、春夏甲子園優勝、国体優勝と、高校野球史上初の4冠を達成した。

▲98年春を制したナインが応援席へ猛ダッシュ
【現役プロに聞く】高校時代の思い出 荒波翔(DeNA) 01~03年在籍 「練習は厳しかったです。特につらかったのは、二塁から右翼、右翼から中堅、中堅から左翼……と走る間にアメリカンノックを1本ずつやる『世界一周』というもの。寮生活では1年生が朝食をつくる役目でしたね。初めて味噌汁をつくったときに、乾燥ワカメがあんなに増えるものだと知りました。一番の思い出はやはり渡辺(元智)監督、小倉(清一郎)部長(現コーチ)の指導です。『目標がその日その日を支配する』という言葉をはじめ、教わったことは今でも自分の中に生きています」
●学校創立:1976年
●創部:1976年
●旧校名:明徳
●住所:高知県須崎市浦ノ内下中山160
●主なOB:
伊藤光(
オリックス)、
森岡良介(
ヤクルト)、
河野博文(元巨人ほか)、
町田公二郎(元広島ほか)、
横田真之(元ロッテほか)
●甲子園通算成績/通算52勝29敗
●春15回出場(通算24勝15敗)
●夏15回出場(通算28勝14敗)
初戦敗退は2度だけの安定感 
▲98年夏は激闘の末、横浜にサヨナラ負けで準決勝敗退
関西を中心に全国から選手を集め、創部から6年の82年春に甲子園初出場。2回戦で箕島と延長14回の末に敗れるが、翌83年春はベスト4進出。準決勝で
水野雄仁(のち巨人)のいる池田に敗れた。その後も定期的に甲子園に駒を進め、30回の出場で初戦敗退は87年春と2011年春の2度だけと、全国の舞台で安定した成績を残している。92年の2回戦では
松井秀喜(のち巨人)に対して5連続敬遠で星稜を3対2で退け、大きな話題になった。初優勝は2002年。強打のチームで頂点まで駆け上がった。

▲2002年夏に念願の初優勝。6試合で45点の猛打爆発
【現役プロに聞く】高校時代の思い出 伊藤光(オリックス) 05~07年在籍 「東名古屋スターズの先輩が明徳に進んで、1年からレギュラーを取って、甲子園に5回出ているんですよ。その先輩にあこがれて明徳に進みました。僕もここでレギュラーを取って甲子園に出たいなと。部員は多かったですが、競争を勝ち抜いて1ケタの番号をつけようと思いました。寮生活は厳しくて3年間、自由を奪われました(苦笑)。携帯電話を持つことも禁止でしたしね。でも、寮生活で親のありがたみが分かりましたし、厳しかったあの経験は今に生きていると思います」