1995年(平成7年)、ドジャースでメジャー・デビューを果たした野茂英雄から始まり、平成の時代は多くの日本人プレーヤーが海を渡って、メジャー・リーガーとして活躍。「日本人はメジャーでは通用しない」という固定観念を崩すとともに、「メジャーのレベルの高さ」をあらためて感じさせることにもなった。 ※文&データ=蛭間豊章(報知新聞)、写真=Getty Images 
全米に旋風を起こした野茂英雄
野茂英雄がすべての始まりだった
米国時間4月20日、
松井秀喜氏がニューヨーク州ロングアイランドで行った野球教室で、記者団から「平成の時代にメジャーが近くなった?」との問いに、「最初の一歩は野茂さん。野茂さんがいなければ、まったく違ったものになったと思う」と語った。そのとおり、日本人メジャーの歴史は野茂英雄が道筋を作ったと言っても過言ではないだろう。
1964、65年の
村上雅則だけで途絶えていた日本人選手のメジャー挑戦。1993年秋に
マック鈴木(誠)がマリナーズとマイナー契約を結び、翌春のキャンプで話題となったが、メジャー昇格は時期尚早だった。ところが95年、近鉄との契約交渉がもめた野茂がメジャー挑戦を表明。ドジャースとマイナー契約ながら、契約金200万ドルで海を渡った。
当時のメジャーは、前年8月からの労使紛争でストライキ中。そのため、ベロビーチ・キャンプで彼を待ち受けていたのはマイナーの選手だけだった。前年、肩痛に悩んだ野茂にとってはストライキのために開幕が約1カ月遅くなったのが幸いした。デビューして6試合は白星に恵まれなかったものの、6月に入るとメジャーでは当時見られなかった落差の鋭いフォークボールと速球を武器に快刀乱麻。2度の完封勝利を含めて6戦全勝で月間MVPを受賞。当時、メジャー最高右腕だったグレッグ・マダックス(ブレーブス)の・・・
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