ここからは球団別にルーキーの活躍を紹介する。彼らがプロ1年目に残した成績と衝撃は、どれほど大きなインパクトがあったのか。 ※【数字】はドラフト順位。(新)は新人王。年齢はその年の満年齢。セーブは1974年以降、ホールドは2005年以降の選手が対象 
逆方向へも長打を打ち、得点圏でも打率.326と勝負強さを誇った
ともに日本一に貢献
2度の黄金時代を築いたライオンズ史の中で最も強烈な印象を残したのは
清原和博だ。PL学園高時代に甲子園で名を馳せ、1986年ドラフト1位で入団。プロ2打席目で初本塁打を放つと当初は苦しむも徐々に真価を発揮した。打率.304、31本塁打、78打点をマークしたが、これは53年
豊田泰光の27本塁打、55年
榎本喜八(毎日)の打率.298、67打点を更新する高卒新人最多。もう二度と破られない記録だろう。
想像外の活躍を見せたのが
稲尾和久だ。56年、別府緑丘高から入団したが、その理由は「コントロールがいいから打撃投手に使える」(
三原脩監督)。実際、春季キャンプでは1日500球から600球を投げ、口の悪いベテランからは・・・
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