
最後のドライチとなったが、即戦力左腕として期待が高まる
4年後にプロに行く。そう決意していた速球派左腕は、その年のアマチュアトップ選手である証し、ドラフト1位の栄光をつかみ取った。
高校入学時は110キロ台だった球速を卒業時には140キロ台中盤まで伸ばし注目される存在に。大学では1年春からリーグ戦のマウンドに立った。しかしそこそこ球威があるだけでは勝ち切れない日々が続いた。原因は自分でも分かっていた。「変化球を課題にしていました。精度もそうですし、球種も多くなかったんで大学で取り組んできました」。カットボール、ツーシームを覚えたことでカウントを整えられるようになり・・・
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