“赤ヘルの若大将”と呼ばれ、80年代のカープの黄金期を支えた小早川毅彦氏。主に同年代に活躍した「伝説のエースたち」をここでは打者側の視点から語る。 取材・構成=志村海 写真=BBM 
球史に残るシーン・江川から逆転2ランを放った87年シーズンは本塁打[24]、打点[93]いずれもキャリアハイの成績だった
ある男の野球人生を変えた一撃
──数々の投手と対戦してきた小早川さんですが、もっともすごかった投手はいましたか。
小早川 それぞれに球の速い投手や変化球がいい投手がいたので、一番と言われるとなかなか難しいですが、総合的に見て槙原(
槙原寛己、元
巨人)がすごかったなと思います。
──槙原さんのどんなところがすごかったですか。
小早川 皆さんご存じの通り、真っすぐのスピードが150キロを超えていて速かったですね。回転の良い真っすぐを投げていたほか、コーナーにツーシームやカットボール気味の動くボールも持っていました。左打者の私からすると、懐に入ってくるようなボールも投げてきましたね。変化球もスライダーにキレがあって打者の手元で消えるような感覚でした。でも一番はフォークボールがすごかったですね。独特な軌道をしていました。
──独特というのは。
小早川 普通、フォークボールというのは「ストン」と落ちる感じなんでしょうけど、抜けるチェンジアップのような感じで変化してきましたね。そこがほかの投手と違っていました。
──打者からすると遅いストレートのように見えるのでしょうか。
小早川 そうですね。思ったように打者の手元には来ないので、タイミングがなかなか取りづらかったですね。
──投球フォーム自体は打ちづらさを感じましたか。
小早川 それは全然ありませんでした。
──槙原さんを攻略するための対策やトレーニングは何かしたのでしょうか。
小早川 これは対策しようがないんですよね。仮に練習でやったとしても生きたボールは試合にならないと見ることができないので……。特別に何をしたということはありません。
──槙原さんから打った記憶はありますか。
小早川 正直なところあまりないですね(笑)。初対戦のときとかも・・・
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