1999年の新人年に20勝を挙げる衝撃のデビューを飾って巨人のエースに。クローザーを経験したのち、FAでMLBに活躍の舞台を移してレッドソックス時代の2013年には世界一にも輝いた上原浩治[18年に巨人復帰]が5月20日、現役引退を発表した。MLBでは「メジャーで投げるため」にさまざまな役割をこなし、日米通算では史上初の100勝100ホールド100セーブを達成。21年の現役生活で、大きな転機となった星野仙一氏との出会いから野球人・上原浩治を振り返る。 文=鷲田康(スポーツジャーナリスト) 写真=BBM さまざまな思いが交錯自分を見失った08年
どん底にいた。
「投げ方が分からなくなった」
上原浩治はそのとき、確かにそう言っていた。
2008年。プロ入り10年目のシーズンが始まって、わずか2カ月余りが経ったころだった。
この年は開幕投手を務めた4月1日の
中日戦(東京ドーム)で敗戦投手となると、その後も本来の回転のいいストレートが影を潜めて、いきなり4連敗。4月27日には
原辰徳監督からプロ入り初めて、故障以外での二軍調整を命じられていた。
慢性化した下半身の不安を抱えながら苦闘の日々が続く。この年から投球の幅を広げようと本格的にシュートを投げ出したことが原因ではないのか?など、さまざまな思いが交錯して自分で自分を見失ってしまった。
それが「投げ方が分からなくなった」原因だった。
二軍ではフォームの再チェックをしながら、走り込みができない分は(エアロ)バイクを漕いで土台の再構築も図った。それでもなかなかラビリンスを抜け出せない中で、上原にとっては転機となる電話がかかってきたのが6月のある日のことだ。
「オレや」
電話の向うからぶっきら棒だが、親しみの込もった声が聞こえてきた。
この年の8月に予定されていた北京オリンピックで、日本代表を率いることになっていた星野仙一監督だった。
「どんな不調でも(代表に)選ぶからな・・・
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