10年ぶりの邂逅
10年に一人の逸材、と言われている。それは、なぜか──。
及川雅貴は「
菊池雄星(現マリナーズ)の再来」と評価される本格派左腕だからだ。中学時代は侍ジャパンU-15代表(硬式)のエースとして第3回WBSCU-15W杯で準優勝。「世代No.1」の名をほしいままにしてきた。千葉県出身の及川が神奈川の名門・横浜高に進学した理由は──。
「高校で達成したい2つの目標があり、甲子園に出場して全国優勝する。そして、プロの世界に入る。2つを実現できる可能性を考えたときに、横浜高校であると決めました」
名門・横浜高でも1年夏、2年夏の甲子園に出場。そして、最大のインパクトを与えたのが今年1月25日のセンバツ選考委員会だった。「関東・東京」における一般選考枠は6枠。関東の上位4校と東京1校は基本枠としてあり、ラスト1枠が激論となる。つまり、関東5位校・横浜高と東京2位校・東海大菅生高による比較検討。横浜高は昨秋の関東大会準々決勝(対春日部共栄高)で7回
コールド敗退。やや分が悪いように見えたが、横浜高が射止めた。
最終的な決め手は「大会屈指の及川投手のいる横浜」(選考委員)という見解。さらに、掘り下げていくと「152キロ(昨秋の関東大会後の練習試合で1キロ更新する153キロを計測)のスピードボール、鋭いスライダーで三振を取れる」とその潜在能力を高く評価。選考委員会で、ここまで「個人」に焦点が当てられるケースも珍しい。それだけ、大型左腕・及川は「甲子園で見てみたい」と思わせる注目選手だったのだ。そこで思い出したのが、2009年の選抜選考委員会である。当時の「東北」の一般選考枠は2。通常なら前年秋の東北大会優勝、準優勝校が選ばれるが、準決勝敗退の花巻東高が逆転選出された。その一因として「全国屈指の左腕」と言われた菊池を擁していたことも確かだった。「10年に一人の逸材」として、菊池と及川の関係性が合致している。
今夏は県8強止まりも
甲子園で初めて背番号「1」で臨んだセンバツでは、明豊高との初戦で敗退(5対13)。4点リードを守れず、3回表の連続四球から崩れ、5失点で右翼の守備へ。8回途中にマウンドに戻るが、3四死球と制球力に課題を残した。昨秋までは直球とスライダーのみで、年明けからチェンジアップに着手。フォーム改善にも取り組んだが「完ぺきに固まったわけではない。チェンジアップの完成度も5〜6割で高さが甘くなる。そこが怖い」。大会前の不安が的中した。
センバツ後は高校日本代表第一次候補として、国際大会対策研修合宿に参加。大船渡高・
佐々木朗希、星稜高・
奥川恭伸、創志学園高・
西純矢と及川の「BIG4」が初めて顔をそろえた。「『四天王』とか、言われているじゃないですか(苦笑)。自分はそのレベルに達していない。ライバルと言うより、追い越さないといけない3人です」。
夏へ向けてテークバックなど、フォーム修正に取り組んだ。甲子園での投球内容から春は背番号「10」に降格したが、夏は再び「1」を背負うも県大会準々決勝(対相模原高)で涙をのんだ。そして「四天王」のうちで及川のみ、高校日本代表から漏れた。だが、夏の県大会を視察した
広島・
苑田聡彦スカウト統括部長は「春よりも良くなっている。ボールのバラつきがなくなった」と高評価。目先の結果ではなく、投球内容と将来性を見ている。「走る姿、体全体のしなやかさに加えて、バネがある」(
巨人・長谷川国利スカウト部長)。
10年に一人の逸材は間違いなく、2019年ドラフトの中心の一人となるはずだ。

150キロ超を投じる左腕は、プロの世界でもそうはいない
PROFILE およかわ・まさき●2001年4月18日生まれ。千葉県出身。183cm74kg。左投左打。須賀小3年時に野球を始め、6年時は千葉
ロッテjr.でもプレー。八日市場二中では、匝瑳シニアに所属。3年時に侍ジャパンU-15代表で、第3回WBSCUー15W杯準優勝。横浜高では1年春からベンチ入りし、同夏の甲子園1回戦(対秀岳館高)で救援登板。3回戦に進出した2年夏の甲子園2回戦(対花咲徳栄高)では、初先発で勝利投手。同秋から背番号1を着け、3年春のセンバツ出場。同夏は県大会8強。
取材・文=岡本朋祐、写真=BBM 2019ドラフト候補選手名鑑号より転載