
ソフトボール時代の僕。記憶に残っていませんが、サイズ的に小学1年生のころだと思います
5つ上の兄の影響でソフトボールを始める
僕は3人兄弟の末っ子で、福岡県の北九州市で育ちました。5つ上に兄、4つ上に姉がいて、兄の影響でソフトボールを始めたのが野球人生のスタート地点です。当時、兄は小学5年生で永犬丸(えいのまる)西ソフトボールクラブに入っていました。幼過ぎてほとんど記憶に残っていませんが、聞いた話によると、練習のお手伝いに母が行ってしまい家に誰もいなくなるので、僕もグラウンドに連れていかれて近くの遊具で遊んでいたそうです。
で、せっかくグラウンドに来ているのなら一緒にプレーしようとなったのが、ソフトボールを始めたきっかけです。僕はまだ年長さんでしたが、特別に参加させてもらっていました。母からすれば、幼い僕が目の届かないところでケガをするよりは、兄と一緒にソフトをやったほうがいいんじゃない?くらいの気持ちだったと思います。その後、永犬丸西小学校に進学すると正式にクラブのメンバーとなりました。僕が住んでいたのはソフトボールが盛んな地域で、兄がプレーするチームに入るのは自然な流れでした。正直、僕は軟式野球チームがあるということすらも知りませんでしたから。
ソフトボールチームに入ったばかりの子どもは、だいたい九番・ライトからスタートするんです。そして、ソフトボールに慣れていくにつれて、さまざまポジションをこなしていきます。僕は左投げということは関係なく、いろいろなポジションをやらせてもらいました。ピッチャー、キャッチー、ショートもやりましたね。指導してくださった竹内久監督(当時)は、学生時代には野球やソフトボールよりサッカーをやられていた方で、柔軟な考えの下、たくさんの経験をさせてくれました。
ソフトボールクラブのピッチャーは、低学年がいわゆる下投げ、高学年からウインドミルでした。僕は下投げが結構速かったんです。だから低学年のころはマウンドに上がれば、ほとんど打たれませんでしたし、大会中に「今永くん、もう少し遅く投げましょう」と注意されたことがあるほどでした。ところが、高学年になりウインドミルになると普通の球速になってしまい、よく打たれました(苦笑)。低学年では優勝することもありましたが、Aチーム(高学年チーム)になってからは1度も優勝できなかったです。小学校では、あらゆるポジションを経験して多少目立つ存在でしたが、中学に進むと特別器用だったわけではないので、そう目立ってはいませんでしたね。
ソフトボールだけに没頭したかといえばそうでもなく、ゲームで遊んだり、ごくごく普通の小学生でした。ゲームでは『遊戯王』にハマってました。ハードでいえば『NINTENDO64』や、『ニンテンドーゲームキューブ』が小学3年生の時に発売されてよくやってましたね。マンガも好きで週刊少年ジャンプの『NARUTO』に夢中になっていました。
プロの「プ」の字もない軟式野球部時代
中学は永犬丸中に進み、軟式野球部に入部しました。硬式クラブチームという選択肢もないわけではなかったのですが、当然ながら硬式はボールが硬いので、ソフトボール出身者からすれば怖さもありますし、ハードルは高かったです。それに地域にもよるのでしょうけど、ボーイズリーグやシニアリーグに進む中学生は体も大きくて、ちょっと引け目を感じていた部分もありました。
本格的な野球のスタートとなった中学では、最初は外野を守りました。ピッチャーになったのは中学2年のころからです。そして、中学3年の夏の大会で初めて背番号「1」をもらうことができました。僕がプレーした永犬丸中は強豪チームではなく、区内大会で3試合に勝って出場できる市内大会の1回戦が最高成績だったので、大会で3回勝つのが精いっぱいのチームでした。

永犬丸中では軟式野球部でした。最後の大会でエース番号をもらうことができました
今、振り返るとプロ野球選手の「プ」の字もないくらい平凡な中学生でしたね。おそらく中学の時の友だちに聞けば、誰もが同じ感想を言うと思います。特に投げる球が速いわけでもなく、ごく普通の左投げの投手でした。変化球も見よう見まねで握りなどを試しながらやっていましたが、今思うと変化球と呼べるシロモノではなかったですね。
プロ野球選手になるような子どもは、中学、高校からその片鱗(りん)をのぞかせるものなんでしょうけど、僕の場合「永犬丸中学にいいピッチャーがいるぞ」というウワサすら立つことがありませんでした。そんな目立つことのなかった中学生は、自宅から一番近い県立の北筑高に進みます。当時、野球部に左投手がいないということもあり、推薦での入学でした。それでも一定以上の学力や内申点も必要なので、中学3年の最後はかなり勉強しました。そして北筑野球部のトビラを開けるわけですが、プロへの意識が徐々に芽生え始める高校時代の話は、次回へと続きます。
【読者からの質問状】登板前に一番重要視するデータは?
Q. 今永投手が登板するにあたり、一番重要視するデータは何でしょうか。その理由とともに教えていただければうれしいです。(近藤有紀子さん・伊丹市) A. 試合前、対戦する打線の自分との相性はあまり気にしていません。それよりも、相手の打者たちが直近のサウスポーをどう打っているのかをチェックしています。打者からすれば右投手と左投手では、アプローチは180度異なるものだと思っています。なので一番最近の左投手との対戦で、どのように見逃し、どのような空振りをしているのかをチェックします。それが自分との対戦ならベストですが、例えば1カ月前の「
今永昇太」との対戦データよりも、1週間前の別の投手のデータのほうを重視します。シーズン中は、打者の状態も目まぐるしく変わっていくものですからね。
PROFILE 今永昇太/いまなが・しょうた●1993年9月1日生まれ。福岡県出身。178cm85kg。左投左打。北筑高から駒大を経て、2016年ドラフト1位で
DeNA入団。1年目8勝、2年目には11勝をマークし日本シリーズでも活躍。18年は4勝11敗と不調も、19年には初の開幕投手に指名されるなど13勝を挙げて復活。侍ジャパンのメンバーとしてプレミア12優勝にも貢献。