
敬遠球を空振りする田尾
練習の虫だった藤田平
ほかのチームもそうだったと思いますが、昔の
阪神の宿舎には、屋上にバットを振る場所がありました。寝る前に、素振りができる場所ですね。名古屋は3階の上の屋上にあって、マネジャーからは「辻君、長いことやりたいんだったら、あそこでバットを振っとけよ」と言われ、「はい!」と元気に答えたんですが……実際は行ったことなかったですね(笑)。
というか、僕以外もほとんど見たことない。掛布(
掛布雅之)はしていたらしいけど、あいつと一緒だったのは1年だけなんで、あんまり覚えていません。1人だけいつも振ってたのが、
藤田平ですね。あと、昔はウエートの器具もないんで、ビール瓶に砂を入れたもので手首を鍛えたりしていましたね。ほんとストイックに一生懸命やっていました。
平のバッティングは余計な力が入らず、すっとバットのヘッドが出る。バットコントロールがうまく、打撃も守備もですが、天才ではあったけど、努力もする天才でした。
そんな平が首位打者を狙っていたときだったか(81年)、通算2000安打の前だったか(82年)忘れたけど、なかなかバットが出てこなかった時期があります。不調じゃないんですよ。打たなきゃと思うと、すくんで出ないんです。
僕は当時、すでに大洋にいましたが、甲子園近くで、阪神時代にいつも行ってた焼肉屋のおばちゃんに、「平に1本、打たせてよ」と何度も言われ、打たせるわけにもいかんなと思ったけど、あいつが打席に入ったとき、「平、頑張れ。打てよ」と言ってしまったことがある。確か、その打席センター前だったと思います。それで、あいつはきっかけをつかんだような記憶があります。
今は打者の話でしたけど、結果を気にせず「負けてもいい」と開き直ると、ピッチャーの球がよくなることもあります。昭和48年(73年)、阪神が勝てば優勝だった10月20日の
中日戦(中日)がそうでした。向こうの先発は星野(
星野仙一)で、もう「好きなように打って勝ってくれ」くらいの感じで投げていたけど、たちの悪いことに、そのくらいの気持ちで投げると、球が手元でピッと伸びるんですよ。阪神のバッターは詰まった凡打ばかりで、結局、試合に敗れ優勝もできませんでした。
涙の空振り
そう言えば、あの試合もそうでしたね……。昭和57年(82年10月18日)、横浜スタジアムの横浜-中日戦です。どっちにとっても最終戦で、大洋はもう5位が確定、中日は勝てば優勝という試合でした。
あの試合、僕は大洋のスタメンマスクだったんですが、試合前、関根(
関根潤三)監督にネット裏のブースに呼ばれたら、その部屋に中日の近藤(
近藤貞雄)監督もいて、2人でしゃべっていたんですよ。それで、関根さんから近藤さんに「きょうの先発は辻で行くよ」って。そしたら近藤さんに「辻、頼むぞ」と言われたんです。その後、関根さんがこっちを見て、「お前を試合に出すけど、分かってるな」って言われたんで、こっちはすっとぼけて「何をですか」と言ったら、「いろいろあるだろ」って(笑)。
そのとき、首位打者争いはウチの長崎(
長崎啓二。現・慶一)がトップだったけど、中日の田尾(
田尾安志)が1厘差くらいで追い掛けていた。長崎は、その試合、休むことが決まっていたんで、関根さんからすれば、「試合は負けてもいいけど、その代わり田尾とは勝負せず、首位打者は長崎がもらう。勘弁してね」ということだったと思います。もちろん、2人とも狸だから、そんなこと具体的には言わんし、僕は僕であれですから(笑)、すっとぼけてました。
ただね、正直言って、僕はわざと打たせる気なんてなかった。カッコつけるわけじゃなく、さっきの中日戦の星野もそうだけど、野球って、そんな簡単に勝ったり負けたりできないんですよ。しかも、相手は打線が売りの中日ですし、こっちの先発は、新人の金沢(
金沢次男)、この年、5勝しかしてないピッチャーですからね。まあ、金沢を使ってる時点で、いかに関根さんに勝つ気がなかったか分かるけど(笑)、要は「普通にやればいい。どうせ勝てないよな」というくらいです。
けどね、試合が始まったら、金沢がすごくいい球を投げていたんですよ。星野じゃないけど、打たれても仕方ないとリ
ラックスしたのがよかったんでしょうね。ビュンビュン来る。対して、中日打線はカチンカチンです。平みたいにバットが出てこない状態ですね。こりゃ、勝っちゃうかもしれんなと、少し心配になりました(笑)。僕から金沢に「負けてもいいから甘いところに投げろ」なんて言えないですからね。
でも、頼りになるのはベテランです。2回表の先頭の谷沢(
谷沢健一)が、カーブの後の2球目だったと思うけど、インコース真っすぐをホームラン。そこから中日打線もホッとしたんでしょうね。どんどん打ち出した。ずっと後、マスターズ・リーグ(かつてあったOBたちのリーグ戦)をやってるとき、谷沢に「球種で狙ったの?」と聞いたら「あのときは、来た球を打つと思って入ったよ」と言ってました。
この試合は8対0で中日が勝って優勝を決めたんですが、もう1つ、長崎と田尾の物語もありました。わざと負ける気はなかったと言ったけど、こっちはベンチの方針ですから田尾には全部フォアボールで歩かせました。
それで4打席目だったかな。田尾が怒って、ノースリーからボール球を振ったんですよ、僕は「ここまで我慢してきたんだから辛抱せえよ」と言ったんですが、次の球もまた振ってフルカウントになった。スタンドも騒然です。もしかしたら暴動が起こるかもと思ったくらい。あいつの顔を見たら涙を浮かべていたけど、僕は「田尾、頼むよ。騒ぎが大きくなる。我慢してくれ」と言って、なんとか四球で歩いてくれました。
後日、僕が阪神のコーチでいるとき、田尾がトレードで来たんですよ。そこで、そのときの話になって、「勘弁してくれ。俺は関根、近藤におどされてやってたんだ(笑)」と言ったら、「悔しいけど、仕方ないですね」と言ってくれた。関根さん、近藤さんからは、このときの話は、その後、いっさいなかったですけどね。
え、今回は爆弾発言だった? いや、そうでもないでしょ。野球は人生と同じ。いろいろありますからね。
PROFILE 辻恭彦(つじ・やすひこ)●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・
辻佳紀がいたためでもある。