戦闘服に別れを告げる。ユニフォームを脱ぐ決断を下し引退試合を行ったほかペナントレース全日程終了後に、引退を表明した選手もいる。長く現役生活を過ごしたのは、“職人”とも評される確かな技術があったから。そんな彼らの思いとは──。11月3日には阪神、ロッテで18年間プレーした鳥谷敬が会見で胸中を明かした。 文=鶴田成秀 写真=川口洋邦(会見)、BBM 
会見後には早大の後輩でもある中村奨吾[写真左]が花束を贈った
試合に出る意味
質問を一度、小さくつぶやき、自らに問いかけるようにしてから思いを口にする。10月31日に引退を表明し、11月3日に開いた引退会見での鳥谷敬の姿は、現役18年間の野球に対する姿勢を象徴するものだった。重ねた安打数は2099本、出場試合数は歴代2位となる連続1939試合を含む計2243。歴代上位に名を刻む多くの数字を残してきた中で、「誇れる記録は」と問われると、かみしめるように語り始める。
「誇れる記録……。1年で何かすごい数字を残したことはないので。トータルで試合に出続けるということは常に頭に置いてやっていましたし、成績というより二軍に落ちても、試合に出られなくても、毎日しっかり準備を怠らず、本当に辞めると決断する日までできた。誇れるとしたら、数字というよりは、その(プロ)生活というか、日々というのが、人より誇れるものかなと思います」
試合に出続ける。それはプロ野球選手として生きる上で欠かせない“絶対条件”。ユニフォームを着て、グラウンドに立って初めて残るのが数字。だから、「大学生(早大)のときに、プロ野球選手になると、決めたときから」数字と戦ってきた。
「本当に数字を追って、求めてきた。プロも自分の価値を上げていくためには数字。数字を追い始めたときから(野球を)楽しむというより、仕事と考えてやっていた。好きという感情だったり、楽しむという感情はなかったです」
2004年。阪神のユニフォームに袖を通し・・・
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