組織の思惑と個人の意地、一瞬の激情、止まらない感情……。80年代の衝撃の監督交代劇、乱闘、移籍など、世間を騒がせた事件をいくつかピックアップしてみよう。 【事件1】1980年・長嶋茂雄監督、解任!

引退会見での長嶋監督
1980年10月21日、東京大手町の読売新聞社で会見。
巨人・
長嶋茂雄監督が退任を発表し、理由を「男としてケジメをつけ、責任を取りたいと思ったからです」と語った。長嶋監督は74年に現役を引退すると、翌年から監督に。初年度最下位の後、2年連続リーグ優勝を飾ったが、以後、3年連続V逸となっていた。シーズン中から退任のウワサはあったが、後半戦は前年秋、伊東キャンプで徹底的に鍛え上げた若手を積極的に起用し、3位にもなった。「まさか」の声とともに、全国の長嶋ファンから「なぜ俺たちの長嶋を辞めさせるのか」と批判が殺到。読売新聞の不買運動まで起こる大騒動となった。その後、「ニュースを見た僕もショックでした」と語った
王貞治が現役引退。1つの時代に幕が下りた。
【事件2】1981年・衝撃の発言!「ベンチがアホやから」
1981年8月26日の
ヤクルト戦(甲子園)、8回に3点を献上した
阪神の
江本孟紀が途中交代後、ロッカールームに向かう途中で「ベンチがアホやから野球ができん」と吐き捨てた、いや、そう吐き捨てたと報道された。翌日、球団から事情聴取を受けた江本は「責任を取って退団したい」と申し出、球団も受理。そのまま任意引退となった。同年4勝、前年も8勝15敗だったが、その前の79年まで南海時代から8年連続2ケタ勝利を挙げていた先発ローテの中心選手の1人。もともと
中西太監督の起用法や投手陣の扱いに不満を持っており・・・
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