文=平野重治
Koboスタ宮城の左中間外野席の奥に大観覧車ができるそうな。最近は、マツダ
広島がそうだが、寝そべって試合が見られるとか、何でもアリになっているが、言ってみれば球場のレジャーランド化だ。
実は、プロ野球がスタートしてからの日本の野球場は、野球以外の目的でどんどん使われてきた。晩秋から春先までは野球がないのだから、あの広大なスペースを活用しない手はない。『後楽園の25年』(株式会社後楽園スタヂアム発行)を見ると、球場がいかにさまざまな催しに使われてきたか、驚くほどである。
後楽園球場だけでなく、甲子園球場、西宮球場などでも、いろんなことが行われた。西宮球場が競輪場としても使われたことは、あまりにも有名だ。こちらは、プロ野球の試合がない日に開催され、オフは競輪のみ。西宮球場は、実質的には「西宮競輪場」だった。
後楽園球場に戻ると完成したのは1937年。9月11日に開場式が挙行された。早くも翌年の2月には、グラウンドいっぱいに高さ38メートル、助走路34メートル、着地斜面48メートルのジャンプ台が作られ「第1回全日本選抜スキージャンプ大会」が行われている。雪はどうしたの?石打スキー場から貨物列車で飯田町駅(当時)まで運び、トラックに積み替えて球場の外野スタンド下に集積したそうだ。
戦争が激しくなると、大スクリーンが設置され、戦争映画が上映された。山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』の上映では(42年12月)、セカンドベース付近に横43メートルの超大型スクリーンが設置されたというから、シネラマ並みだ!
翌18年1月からは、以後、後楽園名物となる木下サーカスも開催される。4000人を収容できる大テントを張っての興行だった。
写真は、映画の『ハワイ・マレー沖海戦』で使用されたハワイ・真珠湾の大型模型をそのままグラウンドに移したもので(『後楽園の25年』より)、「大東亜戦争1周年記念・映画報国米英撃滅大展覧会」で公開された(42年12月5日〜14日)。こういう歴史的事実を伝えてくれた後楽園スタヂアム(現東京ドーム)には感謝すべきだろう。