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伊原春樹コラム

伊原春樹コラム「地獄だった新人時代の自主トレ。本番はまだまだ先だ! ルーキー諸君よ、張り切り過ぎるな!」

 

ルーキーは注目を浴びるが、自主トレでケガには気を付けてもらいたい[巨人浅野翔吾。写真=高原由佳]


 つくづく実感する。最近は新人選手を大切に扱うようになったな、と。現在のプロ野球では新人合同自主トレを視察した監督がたいてい「張り切り過ぎることなく、自分のペースでやってくれ。ケガが一番怖いから」といった内容の言葉をルーキーたちにかけている。私が新人時代はそんなことはなかった。

 1971年、ドラフト2位で西鉄に入団したが、まず当時はどの球団も1月中旬ごろからキャンプに向けてチームで合同自主トレをやっていた。もちろん、新人だからと練習が緩くなることはない。初日からハードトレーニングを行ったことを覚えている。まず、長い距離をじっくりと走ったあと、100メートル走を10本。その後は強化体操。ウエート・トレーニング施設が充実しているわけではないから腕立てや屈伸運動、うさぎ跳びなどだ。キャッチボールはやったが、そのほかティーバッティングなどをやることはない。ひたすら自重トレーニングを繰り返した。

 ムチャクチャきつく、フーフー言いながらメニューをこなしたが、練習の最後にはポール間走が待っている。右翼ポールと左翼ポールの間、フェンス沿いを走っていくのだが、走路の途中には3、4人のコーチがいる。何をやるかと言うと、走ってきた選手に対してボールをトスするのだ。選手はそれをキャッチして、また走っていく。

 自主トレ3、4日目だったと思うが、私はトスされたボールに対して「アピールしてやろう」と思ったのだろう、飛び込んでキャッチを試みた。しかし、その際に左肩をひねってしまって脱臼。そのまま離脱することになり、キャンプは不参加となってしまった。二軍で実戦復帰を果たしたのは5月。一軍デビューは7月上旬と大幅に出遅れてしまった。今のように「張り切り過ぎない」ということが頭にあれば……と悔やむ出来事だ。

 練習で野球人生を左右するような大ケガをさせてはいけない。指導者となって、新人や若手に対して気遣うことも覚えていったが苦い記憶もある。東尾修監督時代の1999年の春季キャンプだ。松井稼頭央ら若手の台頭で97、98年と連覇を果たした西武。さらに若手を鍛えて強いチームをつくっていこうという段階だった。キャンプ初日。練習の最後は総合ノックだった。

 私を含め、ノッカーは4人いた。ただ、まだキャンプはスタートしたばかりだ。スパイクを履いて練習をするのも久しぶり。打球を左右に打って選手を動かすことなく、正面に飛ばす優しいゴロを打つように私はノッカーに指示した。しかし、ノックが進むうちにあるノッカーが熱くなって右に、左に打球を打ち始めた。すると、セカンド寄りへのゴロをさばこうとした高木大成がガクッときた。右足首靱帯損傷。高木は前年、17本塁打を放ち、さらに飛躍が見込まれていただけに痛いケガだった。

 プロ野球選手にとって体を追い込むことも重要だが、避けられるケガはある。新人諸君、合同自主トレが本番ではない。監督たちが言うように、今は自分の体と対話しながら調整を進めていってほしい。

PROFILE
伊原春樹/いはら・はるき●1949年1月18日生まれ。広島県出身。北川工高(現・府中東高)から芝浦工大を経て、71年ドラフト2位で西鉄入団。76年巨人に移籍し、78年古巣ライオンズに復帰して80年限りで現役引退。通算成績は450試合出場、打率.241、12本塁打、58打点。81〜99年に西武で守備走塁コーチを務め、西武黄金時代の名三塁コーチとして高い評価を受ける。2000年阪神コーチ、01年西武コーチから02〜03年西武監督、04年オリックス監督を歴任。07〜10年巨人ヘッドコーチを務め、14年は西武監督。現在は野球解説者として活躍している。
伊原春樹の野球の真髄

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座右の銘は野球道。野球評論家として存在感を放つ伊原春樹の連載コラム。

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