8月8日から夏の甲子園大会が始まった。この欄では、高校野球を単独で扱ったことはないので、今週は、筆者の甲子園取材での思い出の種々を――。
初めて甲子園の高校野球を取材したのは1974年の夏の大会だったが、いま思い返すと、いろいろな意味でエポックメーキングな大会だった。
まず、この大会から金属バットの使用が可能になった。あの巨大なスタンドの記者席で金属バットの音を聞くと、悪感が走ったものだ。「ガキューン」「バキューン」「キューン」と、カタカナでさまざま表現してみても、あの気持ち悪い音の再現は難しい。現代の高校野球ファンは慣れっこだろうが、木製バットの音しか知らない身には、「これが野球の音か?」と、大会中、この音に慣れることができなかった。ただし、1試合だけ、この音を忘れてしまった試合があった。それは、準々決勝の鹿児島実高と東海大相模高の大熱戦である・・・
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