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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「清宮幸太郎(2)」

 

清宮にもプロで誰かをマネることをやってもらいたい/写真=BBM


子に甘い親の気持ちは重々分かるのだが……


 早実・清宮幸太郎が両親、早実野球部部長を交え、プロ10球団の関係者と面談を行ったと聞いた。各球団がどんな育成方針や環境を準備しているか、説明を受けたという。

 正直、「ふざけるな!」と思った。すでに“うぬぼれ”が生じているのではないか。心配だ。これを、ただ“時代”として片づけてよいものなのか。

 われわれの時代とは、もはやプロ野球界がまったく別の存在になってしまった。われわれのころはプロ野球選手になること自体、夢のような話。そこは遠い、遠い世界で、そう簡単に手が届くところではなかった。「プロ野球選手になれるのなら、どの球団でもいい」と思ったものだ。しかし今はむしろ、アマチュア選手のほうが立場が強い。「○○球団へは行かない」とか「巨人しか行かない」とか、そんな言い分がまかり通る時代である。

 本人以上に、何かと親が口を出す。昨今、親も皆、子どもに甘いのだ。もっともその点については、私も人様のことをとやかくは言えないが……。わが家も克則(野村克則=現ヤクルト一軍バッテリーコーチ)は甘やかしっぱなしだった。しかし克則の場合、(堀越)高校、(明治)大学と7年間、野球部の寮に入ったのはよかったと思う。

 克則が初めて家を離れるとき、父親として何か言うべきかとも思ったが、何も言えず、無言で送り出した。それまで彼の言動を見てきて、「余計なことは言わんほうがいいだろう」と思ったからだ。息子が夢を持って一生懸命、野球に取り組んでいるのだ。何も言うことはあるまい。

 卒業後、堀越高の同級生がウチに遊びに来て、「お前、よく我慢したな。絶対逃げ帰ると思っていたよ」と克則に言うのを聞いた。相当つらかったのだろう。裏を返せば野村の息子だからと特別扱いがなかったのは幸いだ。

 しかし、あの甘やかされっ子がよく厳しい環境に耐え、頑張ったものだと思う。もし母親にひと言でも弱音を吐いたら、すぐ「イヤだったらやめなさい」と家に連れ戻されたことだろう。母親のほうが圧倒的に甘いのだ。中学時代のリトルシニア関係者に始まり高校、大学と、克則は周囲の皆さんに育てていただいた。今も感謝してやまない。

「学ぶ」は「マネぶ」だと川上さんの素振りを実践


 私が野球に打ち込んだのは、まず「野球がうまくなりたい」純粋な気持ち。次に、「しっかり稼いで、母親を楽にしてやりたい」という一心からだった。幼くして父を亡くした、貧困母子家庭。私は母が苦労している姿しか、見たことがなかった。野球選手になるしかないと考えはしたものの、まさか本当にプロ野球選手になるとは思わなかった。あんな境遇の中、こんなふうになれたのだから人生、分からないものである。

 野球をする環境も何も、私の時代、特にわがふるさとの如きド田舎では、自分で人マネをして勉強するしか野球を学ぶ方法はなかった。私は幼いころから巨人ファンだったため、川上哲治さん、千葉茂さんの形態模写ばかりしていたものだ。

 川上さんは練習で、低めのヒザ元あたりの素振りを繰り返していた。初めは意味もまったく分からず、それをマネた。結局、ご本人に聞くことはできなかったが、私なりに考えたところでは、高めを振ると、上体しか使わない。しかし、低めの素振りはゴルフのスイング同様、ヒザ、腰、肩と体全体を使っていく。そういう狙いがあって、低めを振っていたのではないだろうか。そんな話をしていたら、「イチロー(マーリンズ)もそういう素振りをしていますね」と編集者。まあ、彼は天才だからなあ……。

 一方、千葉さんに関してはライト方向にばかり打つバッティングにあまり魅力が感じられず、マネするのをやめてしまった。その後、私は南海の選手として、近鉄監督の千葉さんと顔を合わせることになった。すると千葉さん、試合当日のグラウンドへランニング、短パン姿でやってくるではないか。ライト打ちや『猛牛』のニックネーム以上に、風変わりな人だった。

 プロ入り以降は、中西太さん(西鉄)、山内一弘さん(毎日ほか)と、パを代表する2人の大打者をマネた。その話は以前、書いたはずだ。「学ぶ」は「マネぶ」。清宮も、これからプロを目指す若人たちも皆、誰か模範となる人を見つけるのが最良の策だと思う。今はアマチュア指導者たちも知識豊富だし、書物にもネットにも、野球理論があふれる時代。だが情報が多い半面、何が正しいか分からない。われわれのころとは違った意味で、難しい時代になったものだ。

PROFILE
のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。
野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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