難しい選択だった。大学4年時に左ヒジを手術。卒業後にプレーする環境はなく、空白の1年を過ごしている。地道なリハビリを重ね、故障も癒えた昨年に社会人球界入り。一筋の光明が見えてきた。 取材・文=佐々木亨 
昨年は短いイニングながらも公式戦登板を重ね、150キロを何度も突破。入社2年目は、多くのスカウトが球場へ視察に訪れることだろう/写真=大泉謙也
大台突破を連発し衝撃の社会人デビュー
永野将司が衝撃の投球を見せたのは、昨年の日本選手権関東代表決定戦(9月26日)でのことだ。東芝戦の8回裏一死三塁でマウンドに上がった背番号14は、初球から150キロを連発。直球で押す中で自己最速の153キロを記録したのは、空振り三振を奪った直後のことだった。
「普通に打たれましたけど(一塁ゴロ)、その試合前までの最速が151キロだったので、2キロ上がってよかったです」
喜ぶ一方で、永野は大事な試合で「やっと投げられた」と心の奥で安堵した。
大分の県立日出暘谷高時代は、主に右翼手としてプレーした。時には2番手投手としてマウンドに上がることもあったが、投手としての才能はその時点でまだ開花していなかった。
「高校時代は125キロぐらいの球速しか出ないピッチャーでした・・・
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