福岡県北九州市内にある常磐高は1992年春に甲子園の土を踏んでいる。以来、全国舞台と縁はないが、今夏は146キロ右腕を擁し、夏初出場への期待がふくらむ。末廣篤弥は、体重が増加するのと並行して球速も上がり、NPBスカウトも注目している。 取材・文=岡本朋祐、写真=上野弘明 グラウンドはサッカー部と共用で、平日に全面が使えるのは月、火曜日(木、金はサッカー部全面)。限られた環境で全力を尽くしてきたのは、大きく評価できる
最終学年を迎え無欲な性格が一変
新学年にあたり、常磐高・磯口洋成監督は全部員に、作文の提出を求めた。原稿用紙2枚。その800文字から、3年生となった末廣篤弥の心の成長を実感できた。
「北九州で育った生徒というのは、地元から出るのを嫌う志向にあるんです。末廣も気の良い子で、2年時までは甲子園へ出場したいとか、卒業後の進路希望とか、欲がまったくありませんでした。でも、最終学年になり、具体的な目標を表現し、意識できるようになりました」
末廣は田原中時代に在籍した北九州スティーラーズでは、3番手投手だった。常磐高が唯一、甲子園に出場したのは1992年春のセンバツ。当時のメンバーだった石井康雄氏(元新日鐵八幡、日産自動車九州、アマ日本代表)が同チームを率いていた縁により、常磐高へ進学。同じタイミングで同校の指揮官に就任したのが、OBの磯口監督だった。今年4月で68歳。亜大、日産自動車で投手としてプレーし、岩倉高(東京)を25年率い、97年夏には甲子園出場へ導いた。定年退職した65歳を機に、母校へ戻ってきたのだ。
勝負の厳しさを知った昨夏の県大会2回戦
入学当時、末廣の最速は123キロで、体重67キロと体の線も細かった。「入学したときから、磯口先生は『140キロは必ず出る』と言っていましたが、自分としては信じ難いレベルでした」。磯口監督は岩倉高時代、左腕・
巽大介(
巨人=2016年ドラフト6位)を育成するなど、投手指導に長けていた。末廣へは投手の基本となる下半身強化と、食事トレを命じる・・・
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