高校、大学と2度の挫折を経験している。そのたび、強い信念と周囲に支えられて、再びマウンドに戻ってきた。社会人1年目も決して満足のいくものではなかったが、飛躍へ向けた準備期間に過ぎない。 取材・文=小中翔太 
昨年3月にはいきなり、侍ジャパン社会人代表候補合宿に招集された。素材の良さは誰もが認めるところである/写真=大賀章好
元内野手が、肩の強さを買われて投手に転向したのは、伊万里商高2年夏だ。当時から140キロ超のストレートを投げ込んでいた
草場亮太の最速は、九産大時代に152キロまで伸びた。「九州No.1投手」と呼ばれるまでに成長し、野球少年の誰もが抱く「プロ野球選手になりたい」という漠然とした夢が現実的な目標へと変わったのは3年秋。しかし1年後、プロ志望届を提出するも、指名順位などの背景もあって、ドラフトでは指名漏れ。大学卒業後は、社会人野球へ進んで、2年後のプロを目指すことになった。
入社前の3月には侍ジャパン社会人代表の選考合宿に参加するなど、大物新人は早くから注目を集めていた。しかし、加入した近畿屈指の名門・日本生命の・・・
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