野球人生とは、何が起こるか分からないものである。選手層の厚い名門・横浜高では控え投手で脚光を浴びる機会はあまりなかった。大学でポテンシャルを開花させたのは、高校3年間の努力があったからこそ。伸び盛りの154キロ右腕である。 取材・文=佐伯要、写真=菅原淳 
元中日投手の日体大・辻コーチが精神面の充実を認める。日ごろからの鍛錬がマウンドの落ち着きにつながっている
154キロ右腕・
北山比呂は昨年末、父・雄二さんに捕手役を務めてもらい、投球練習をした。「一緒に、練習しよう」とお願いすると、快く引き受けてくれた。父は北山の球を「速いな」と言いながらも、気持ち良く捕球してくれた。
幼いころから、家の近くの公園で父とキャッチボールをしていた。「野球と出合わせてくれた父に感謝しています」。北山はしみじみと言う。
雄二さんも北山と同じ横浜高出身。内野手としてプレーしていた。プロになるのが夢だったが、果たせなかった。
「進路はプロを考えています。父のために? そういうわけではないです。プロになって、その結果として親孝行できたらいいなと思っています」。北山はそう言うと、少し照れたように笑った。
横浜高では4番手の控え投手。1学年後輩の
藤平尚真(現
楽天)や
石川達也(現法大3年)の陰に隠れる形だった。
3年夏の背番号は「18」。神奈川大会決勝で、後にその夏の甲子園で全国制覇を遂げる東海大相模高と対戦。渡辺元智元監督が勇退した夏である。横浜高は0対9と大量リードを許した状況で、8回に出番がきた。大観衆の横浜スタジアムで、当時の・・・
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