打たれ、そして敗れる中で覚えた怖さが自信を奪っていく。失意に暮れ、あきらめたかけた。そんな中で胸に刺さった1つの曲に込められた歌詞が教えてくれた。前を向く限り、何度でもスタートは切れる。チャンスは自分のそばにある、と──。 文=梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報室) 写真=桜井ひとし、BBM 
目の前のボールを握り続ける限り、チャンスはある
伴ってきた自信
ふと耳に入ってきた曲があった。偶然、聞いたその曲の歌詞は、スッと自然と大学時代の
佐々木千隼の耳に入ってきた。
自宅でボウッとしていたときだった。
『どんな時も 信じることをやめないで きっと チャンスは何度でも 君のそばに』 聞き終わると自問自答を繰り返した。あきらめそうになる心と向き合い、もう一度、挑戦することを決めた。
「大学2年のときですね。全然勝てなかった。歯が立たなくて、自分にも自信がなくて、そんな落ち込んでいるときに偶然、この曲を聞いたんです。試合で負けても、野球がまったくうまくいかなくても、頑張らないといけない。人生とはそのようなものだなって。奮い立たせてもらいました」 馬場俊英さんの『スタートライン〜新しい風』。その歌詞は佐々木にとっての人生そのものに感じた。自分を信じ続け、そしてチャンスはまだあると、いつも前を向いた。曲の歌詞と同じ想いがいつも自分で自分を励ましていた。
◎
野球エリートではない中で挫折を繰り返し、試行錯誤しながら生きてきた。中学までは軟式野球部。高校では一塁と外野手として都立・日野高で名門私立校を倒そうと奮闘した。高校2年の冬、東京都選抜メンバーの一員として意気揚々と向かったロサンゼルス遠征。そこでレベルの差を痛感させられた。ひと際、目についたのが現
広島の
鈴木誠也(二松学舎大付高)だった。どこまでも飛んでいくボールに、自分がちっぽけな存在に感じた。同じ年とは思えなかった。差は歴然。その背中はキラキラと輝いて見えた。
「高校生とは思えなかった。化け物。直接見て、レベルの違いを感じました」 天と地の差。だからこそ、さらに野球を極めて、不可能に挑戦したいという想いを抱いた。それは生まれながらの負けん気の強さからくるものであり、目の前で見た鈴木誠也という同い年のスーパースターに刺激を受けたものでもあった。桜美林大に入ると、本格的に投手としてマウンドに上がるようになる。しかし、球種も少なく、なかなかうまくはいかなった。
2年時、チームが一部昇格をすると、なおさら力の差を感じた。負けるのが、打たれるのが怖く、どうしようもなくつらかった。自信はなくなり、何度もあきらめようかと思った。
そんな逃げ出そうとしたときに『スタートライン〜新しい風』が耳に入ってきた。この曲は
『もうダメさ これ以上は前に進めない。そんな日が誰にだってある』の詩から始まる。もともと知っている曲だったが、心が折れそうなときに聞くと、歌詞の一つひとつが胸に響くようだった。励ましてくれているように聞こえた。
ハッとさせられた。大学生活はまだ半分も終わったわけではない。自分を信じ、練習の虫となることを決意した。今まで積極的ではなかったウエート・トレーニングにも挑戦した。その後も挫折しそうになると、この曲を聞いて自分を励ました。そして大学3年になると頭角を現すようになる。

桜美林大3年時に頭角を現す
大学では2人のプロ経験のあるコーチと出会った。一人が
桑田真澄氏(現
巨人投手チーフコーチ補佐)、そしてもう一人は元横浜(現
DeNA)で長らくエースとして活躍をした
野村弘樹氏だ。佐々木にとって初めて接するプロ出身者。いろいろなことを教わった。
桑田氏には実践をしながら教えてもらった。自ら投げながら投球のメカニックを指導してくれた。驚いたのはその制球力だ。桑田氏はボールを自由自在に操り、捕手のミットどおりのところにボールを投げ込んでいた。「こういう投げ方をしたら
シュート回転になる」。そう言うと、本当にシュート回転する。プロのすごさを教えてくれた人だ。
「すごい人。言ったとおりのところにボールがいった。ビタビタだった」と佐々木は振り返る。
野村氏は基本中の基本であるボールの握り方から修正を施された。マウンドでの立ち居振る舞いも指摘された。
「もっと堂々と投げろ。打たれてもクヨクヨするな。マウンドでも、ベンチでもクヨクヨせずに堂々と投げろ」
口酸っぱく言われた。
「基本ができていない自分につきっきりで練習に付き合ってもらい、体の使い方、技術的なこと、トレーニング方法などを教えてもらいました」(佐々木)
周りのサポートもあり、少しずつ結果が出ると自信が伴ってきた。ちょっとしたことがキッカケでグングンと力が伸びていった。140キロそこそこだったストレートは、150キロに到達。気が付くと、大学4年時にはドラフト注目選手に。そしてドラフト会議ではプロ5球団に1位指名(第2回入札)され、ロッテのユニフォームに袖を通した。絵に描いたようなサクセスストーリー。ワキ役だった若者は突然、誰もが羨む物語の主人公になっていた。

2016年のドラフトでは1巡目の第2回入札で史上最多の5球団が競合。脚光を浴びたが……
再出発で広がる可能性
しかし、このことがまた佐々木を悩ませ、苦しめ、自信を奪っていく。
「それまでプロを自分の将来の中で身近に感じていませんでした。それが4年の夏くらいから急に注目をしてもらえるようになって。ただ、今思うとそのギャップに戸惑いがあった。いきなりガッと違う世界に連れて行ってもらった感じ。キツかったです」 栄光のドラフト1位でプロ入りをしたが、再び自分自身を見失いかけ、自信もどこかに置き忘れたかのような日々が始まった。1年目の春季キャンプでは連日、マスコミの注目の的。当時を
「ドラフト1位だから、もっと頑張らないといけない。これではダメだと、自分で自分をただ苦しめていた。結局、どんどんマイナスになっていた。メディアもたくさんいて、気負っていた。今思うと、なんであんなに追い込んで悩んでいたのかなと思う。本当に苦しい時期でした」と振り返る。
アマチュア時代にほとんど注目をされていなかったこともあり、メディア慣れをしていなかった。自身の行動の一挙手一投足を追うカメラに重圧を感じ、ストレスを深めていった。気負った投球に襲い掛かるケガ。1年目こそ先発で4勝を挙げたものの、翌2018年は右ヒジを手術して一軍登板なし。19年は2勝で20年は春季キャンプで右肩を痛め大きく出遅れ、わずか5試合の登板で未勝利に終わった。防御率は8.31。ファームでも打ち込まれた。まさに、どん底。しかし、それこそが転機となった。開き直った。
「二軍でもボコボコに打たれて……。でも、そこで吹っ切れた部分がありました。今までは実際に投げるボールと思い描いているボールのギャップなどに思い悩んでいましたけど、そうじゃなくて今、投げられるボールで勝負するしかない、と。できないことを追い求めるのではなくて、今できることでチャレンジする。なんか、ふと、もうちょっと力を抜いて気楽にやってみようと思ったんです。それからちょっと余裕が持てるようになりました」 勝負の5年目。先発ではなくセットアッパーとして再出発した。新しい仕事場での可能性を見いだした
吉井理人投手コーチは「本来は体が強い子。去年、1年間しっかりと体をつくって今年は春のキャンプから中盤に投げる形を試していた」と振り返る。当初は外国人の
フローレスとのポジション争い。2月18日に沖縄本島で行われた
楽天との練習試合(金武)では、2回を無失点に抑えると、その後も練習試合、オープン戦を通じて結果を出し、アピール。開幕一軍の切符をつかんだ。

今季開幕当初はロングリリーフもこなし、ベンチ前での準備も入念。過去の苦しさこそが原動力だ
「彼が自力で勝ち取ったポジション。練習試合、オープン戦を通じて投球内容を見ていて中盤をロングで任せられるいいピッチャーが見つかったぞと思ったね。ストレート、スライダー、シンカーの3つでうまく抑えている。駆け引きのできる子。相手の狙っている球とかを瞬時に見抜く力がある」と吉井コーチは全幅の信頼を寄せる。
チームでは08年ドラフトで1位入団した
唐川侑己が18年からセットアッパーに転身し存在感を増した。佐々木も同じように環境を変えることによって、力を発揮できるようになった。可能性が広がった。
安定感抜群の投球。テンポのいい投球で試合の中盤を支配する。ビハインドの場面で逆転が生まれるのは決まって佐々木が投げたあとであることは決して偶然ではない。その投球がチームに勢いと活気をもたらし、今や勝利の方程式に欠かせない存在となった。
努力でつかんだ夢舞台
うれしい出来事もあった。6月11日からZOZOマリンで行われた巨人との3連戦。試合前練習のグラウンドで巨人のコーチを務める桑田氏と再会した。プロ入り後、初めてのことだった。
「セットアッパーをやっているんだよね。いい経験になると思うから頑張ってね」。短い会話ではあったがプロ野球の一軍のグラウンドで直接、会って話ができたことがうれしかった。
「この世界で再びお会いできてうれしかった。今、自分が一軍の舞台で仕事をさせてもらっていることを実感できました」と目じりを下げて言う。
過去4年間、苦しみ悩み抜いた分、今の飛躍がある。背番号『11』はキレのあるストレートと独特の横に曲がるスライダーを武器に勝利に導いている。その投球は苦労人だからこその渋さがある。苦しみ悩み抜き、確立した今のポジション。その過程で気持ちの変化があり、いろいろなことを学び成長した。ただ、一つ変わらないことがある。それが好きな曲だ。苦しいときに原点に戻れる曲は今もやはり馬場俊英さんの『スタートライン〜新しい風』──。
大学時代だけではなく、相次ぐケガに見舞われ苦しかったプロ入り後も、この曲がいつも自分の背中を押し続けている。
『どんな時も 信じることをやめないで きっと チャンスは何度でも 君のそばに』。 曲を聞き終わると不思議と勇気が湧く。ずっと聞いた。そして、これからも。この曲の存在は特別だ。
「プロ入りする前も今もボクは聞いています。移動のバスの中とかで聞いて励ましてもらっている。いい歌ですよね」と佐々木は、あらためて特別な曲への想いを口にする。

セットアッパーに定着した今季。リリーフカーに乗って勝負のマウンドへ
6月末にはあきらめることなく地道に努力を積み重ねてきた佐々木に思いもよらぬ朗報が届いた。ZOZOマリン室内練習場で汗を流していると
井口資仁監督に呼ばれた。「おめでとう」。右手を差し出された。頭が真っ白になった。何の握手なのか咄嗟(とっさ)に理解できなかった。
「オールスター決まったから。監督推薦でマリーンズの代表として行ってこい。楽しんでこい」。最初に過(よぎ)ったのは
「ボクでいいのかな? 本当なのかな?」。そして、これが夢ではなく現実であると分かったとき、ジワジワと想いがこみあげてきた。
「プロ入りからここまでつらいことばかりで……。なんか、報われたような気がした」 目は潤んでいた。
「振り返ると、苦しい、つらいことしか思い出せない。ネガティブなことばかり」と苦しかった日々が走馬灯のごとく蘇(よみがえ)った。勝負の年と位置付けた今季は、まず気持ちの持ちようを変えた。そして前半戦、勝利のキーマンとなり、夢の球宴に監督推薦で選ばれた。
井口監督は「オールスターは彼が頑張って結果を出したご褒美だと思う。彼が今のポジションを自分で勝ち取り、そしてチームの勝利に貢献してくれた。本人はビックリしていたけど、彼はオールスターにふさわしい。堂々と投げてきてほしい」と目を細める。
チームの流れを変え窮地を救うピッチング。飄々(ひょうひょう)と、しかし魂のこもった投球。その結果、苦節5年で初めてつかんだ夢舞台。ここまでの道のりを振り返ると苦しいことばかり。それでも地道に取り組んできた結果、今がある。
「ボクはストレートも速くないので、お客さんを楽しませるようなパフォーマンスはできないですよ」と苦笑するが、苦労人ならではの魅力がある。順風満帆な男ではなく苦汁を味わったことのある人しか出せない味がある。
苦しい
トンネルを抜けた先に広がっていた景色は本人にしかわからない。そしてこれからも熟成された投球で自分を信じ、真っすぐ突き進んでいく。

飄々かつ熱く――。自分と向き合う男の投球には魂がこもる
PROFILE ささき・ちはや●1994年6月8日生まれ(27歳)。181cm83kg。右投右打。東京都出身。日野高-桜美林大-ロッテ17[1]=5年