ソフトバンクは着々とマジックナンバーを減らしているが、優勝の暁にMVPに輝くのは誰か。柳田悠岐と並んで、抑えのデニス・サファテがその候補の1人であるのは間違いない。アメリカ球界では芽を出すことなく、いま日本で花開こうとしているサファテのこれまでの歩みを振り返ってみる。 成績は9/2終了時点、文中の表内の成績のみ8/25時点となっております 
ソフトバンクが誇る絶対的守護神のサファテ。MVP級の活躍で投手陣を支えている
アメリカでは苦しむも日本で才能を開花
来日して頭角を現し大活躍した外国人選手は少なくないが、サファテもその1人である。アメリカで01年にプロキャリアをスタートさせたが、長いことマイナー暮らし。06年に初めてメジャーに昇格したものの4年間で5勝しただけであった。
03年にA級で12勝2敗、04年には2Aで7勝12敗、05年には2Aと3Aで9勝10敗と次第に腕を上げてきた。ベースボール.アメリカ社発行の06年版の『ベースボール・プロスペクト』には各球団の有望選手を紹介しているが、サファテは当時の親球団であるブリュワーズ傘下の有望若手30人の1人として24番目に紹介されている。
ちなみに1位は前年、傘下のナッシュビル(3A)で28本塁打を放ち、終盤にブリュワーズに昇格して39試合で2本塁打を放っていたプリンス・フィルダーである。サファテについてはこう述べている。
「サファテは苦労してここまで来たが、メジャーのブルペンはそう遠くない。昨年はスライダーに鋭いカーブとチェンジアップを交え好投したが、サファテの速球はブリュワーズ傘下の投手の中でベストである」
メジャーに昇進した06、07年はマイナーと往復していた。07年はブリュワーズからアストロズに移っている。08年は所属をオリオールズに変えたが、ここではマイナー落ちすることなく年間を通じてメジャーに定着した。
08年もほぼ救援専門であったが、57試合に登板して4勝3敗。7月29日時点で46試合に投げ、防御率3.78で4勝1敗だと、30日に
ヤンキー・スタジアムでメジャー初先発の機会が訪れた。当時ヤンキースにいた
松井秀喜は左ヒザを痛めて欠場中であった。
メジャー初先発のサファテは1回、先頭バッターのデイモンを三振に仕留めたが、二、三番に連続四球、四番のA.ロッドに右前打で2点を奪われて五番のジアンビの打撃中に捕逸が出て3点を許す。さらに3回にも2点追加され、4回で退く。
サファテは8月4日、11日にも先発するが、4日のエンゼルス戦では1回に1点、11日のインディアンス戦では1回に4失点で、いつも立ち上がりに失敗する。16日のタイガース戦では1回は無難に投げ、オリオールズは2回表に2点を挙げ、サファテにも勝利投手のチャンスが生まれた。しかし、4回に満塁のピンチを招いて交代。これがメジャー最後の先発となり、その後はまた救援専門に戻る。
09年はまた救援専門となり、20試合に0勝1敗でメジャーを去る。10年は3Aのノーフォークで救援専門に戻り、47試合に2勝2敗20セーブを最後にアメリカを去り、11年に
広島入りした。
11年は新天地の広島で57試合に防御率1.34で1勝3敗35セーブの好成績を残す。広島でセーブを挙げたのはほかに
今村猛の2個だけ。新加入のサファテは抑えのエースとして君臨する。しかし、12年は防御率も2.90で2勝5敗9セーブと、1年目から大きくダウンする。
13年は
西武に移り、9勝1敗で10セーブ。勝利投手になる機会で登板が多かったので9勝も記録した。リードを守り切る抑えではなく、勝敗に関係する場面での登板が多かったことを示している。
14年はソフトバンクに移るが・・・
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