
甲子園初さい配は1対9と完敗。夏、聖地に再び戻って来ることを誓った帝京五高・小林昭則監督
勝手が違った――。帝京五高・小林昭則監督は帝京高(東京)のエース右腕として、1985年春のセンバツで準優勝。筑波大卒業後、
ロッテでのプレーを経て、母校・帝京高コーチで6回、甲子園を経験している。
昨年4月、帝京五高(愛媛)の監督に就任。昨秋の四国大会で準優勝を遂げ、1年足らずで同校を48年ぶりのセンバツ出場へと導いた。
選手、指導者として、甲子園の怖さを知り尽くしているはずだったが、思いどおりにはいかなかった。3月23日、史上5校目の夏春連覇を狙う作新学院高(栃木)との1回戦は、1対9の初戦敗退。相手校の鉄則である「序盤3イニングで試合を決める!」を実践されてしまい、3回までに5失点。0対3の2回裏一死一、三塁の場面ではスクイズを仕掛けるも、空振りで三走が三本間に挟まれ、「まずは1点を取りにいく」というスタイルを阻まれた。
最終回に1点を返すのが、せめてもの意地だった。2時間13分のゲームを終え、お立ち台に上がった小林監督は、完敗を口にしている。
「普段やっている自分たちの野球が、まるでできなかった。バント、スクイズも大関(秀太郎)君のボールのキレが良く、対応できなかった。打線も全国制覇した昨夏と同じような破壊力。今後は練習試合からレベルの高い投手と対戦して、キレのあるボール、速球に対してもフルスイングできるようにしていきたい」
さらに、さい配の難しさも実感した。
「選手のときは、自分がやるだけでしたが、監督はサイン一つひとつで、選手を動かす責任が伴います。うまく力を引き出せてやれなかった……。もう少し、選手をうまく動かせたら良かったと思います」
元プロ投手が高校野球の指揮官として味わった、甲子園の�狎�礼�瓠8縮鮖�代に勝つ喜びを知るだけに、このままでは終われない。選手たちに、甲子園で勝利の校歌を歌わせてやりたい思いが、より強くなった。
「甲子園は簡単に勝たせてくれない場所。鍛え直して夏にまた、来ます」
しっかりとした口調で語った小林監督。帝京五高は夏の甲子園出場はなく、新たな挑戦へ歩みを始める。
文=岡本朋祐 写真=BBM