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阪神・鳥谷敬が追い求める33年ぶりの鉄人記録

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今季は三塁手として出場を続けている鳥谷。チームの勝利に貢献しながら大記録へ突き進みたい



「2020年」が今から待ち遠しい。56年ぶりに開催される東京オリンピックではない。順調に行けば、同シーズンの春先に33年ぶりの日本記録更新がかかっているからだ。

 阪神鳥谷敬が4月19日の中日戦(ナゴヤドーム)で連続試合出場記録を1767試合に伸ばし、金本知憲(阪神監督)を抜いて歴代単独2位となった。

 トップは鉄人・衣笠祥雄氏(元広島)の2215試合。鳥谷が追う背中はあと1人となった。しかし、その道は遠く、長い。

 衣笠氏は高卒(平安高)で入団6年目から足かけ18シーズン休まずにグラウンドに立ち続け、40歳までプレーした。一方、鳥谷は早大出身で2004年の自由獲得枠で阪神に入団。「即戦力」としての期待に応え、1年目から遊撃のレギュラーを務めてきた。

 もちろん、実力が伴っての偉大な記録ではあるが、鳥谷の“選択”は大正解であった。当時のドラフトでは大学生・社会人の有力選手には〝逆指名〟の権利があった。

 東京出身。高校も埼玉(聖望学園高)でプレーした生粋の“関東人”である鳥谷が“関西人”を選んだ最大の理由が、「甲子園の土、天然芝でプレーする」ことだった。

 確かにド素人の筆者でも、神宮でのプレー経験(草野球)があるが、1試合を終えた後の疲労感は土のグラウンドとは比べものにならなかった。鳥谷は早大でも1年春から4年秋まで96試合フル出場を続け、人工芝による体のダメージは一番分かっていたはず。それが、日本一美しい球場と言われる、甲子園を仕事場として選んだ決め手であったのだ。

 今季、かつての定位置は奪われ、鳥谷のポジションは三塁となった。遊撃に比べて負担が軽減されると言われるが、準備を怠らない鳥谷にとって、その責任の重さは変わらない。

 記録を継続させる上で“温情さい配”があってはならない。打撃不振だった昨季は、代打起用が続いたこともあるが、今後、金本監督のさい配も難しくなってくる。

 ただ……。連続試合出場の苦労を知るからこそ、二人三脚で何とか「2216」を追い求めてほしい。生え抜きで体を張ってきた背番号1に対し、阪神ファンから誰一人として、文句は出ないと信じる。仮に打てなくても、鳥谷にはチームに欠かせない守備力がある。3年後――。元気な姿で38歳のシーズンを迎えてほしいと、今から願っている。

文=岡本朋祐 写真=太田裕史

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