
松永の背番号は02(写真右)。阪急・オリックス時代からビッグマウスでも知られた一匹狼だ
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月22日だ。
永遠に続くかに思われた暗黒時代の中、1992年、
亀山努、
新庄剛志のいわゆる「カメシン・コンビ」ら若手選手を中心に旋風を起こし、
阪神が優勝目前に迫り、最終的には2位となった。
そのオフ、
中村勝広監督が「優勝」のための切り札として、若きエース候補、
野田浩司を放出してまで獲得したのが、オリックスのスイッチヒッター、
松永浩美だ。パを代表する俊足強打の三塁手で、開幕前、虎ファンの期待度は、高まる一方だった。
しかし、開幕戦5打数5安打のスタートも左足太ももの肉離れで、わずか3試合で戦線離脱。1カ月後に復帰も6月に入って今度は右肩痛で、またも長期離脱。7月26日に再々復帰したが、その時点では、チームは91年以前の定位置であるBクラスに、どっしり腰を落ち着けていた。
ゲン直しも兼ねて背番号を「2」から「02」に変更した松永。期待を裏切られた虎ファンからさんざんヤジられながらも、打順がクリーンアップから一番に変わったことも功を奏し、徐々に調子を上げていた。
迎えた8月20日からの
ヤクルト3連戦、神宮球場が大記録の舞台となる。20日から22日まで史上初の初回先頭打者3試合連続ホームランを放ったのだ(初戦から左、右、左打席)。
「故障してプレーしているとき、野球をテレビで見るしかなかった。ずっと、なにくそと思っていたよ」と、喜びというよりは、ホッとしたような表情で語っていた松永。その後も25日の
巨人戦守備中に右足首を痛めるなど満身創痍の状態だったが、登録抹消はせず、閉幕まで必死に戦い、最終的には打率.294をマークした。
ただ、松永はそのオフ、スタートしたばかりのFAで、なんとダイエーに移籍。一方、交換相手の野田は、93年に新天地オリックスで17勝を挙げ、最多勝……。いまだに、このトレードの悔しさを忘れない阪神ファンは多い。
写真=BBM