
ストレートは速いだけでなく、制球もよかった西日本短大付・森尾和貴
100回の記念大会を迎える夏の甲子園。週べオンラインでも甲子園を沸かせた伝説のヒーローたちを紹介していこう。
金属バット導入後、残した実績の素晴らしさで、この男に勝る優勝投手はいないだろう。
1992年夏の甲子園。2回戦からの5試合、602球を投げ抜き、頂点に立った西日本短大付(福岡)のエース、森尾和貴だ。
決勝まで一人で投げ抜いた優勝投手は、81年、報徳学園の
金村義明以来となる。
しかも、失点は準々決勝・北陸(福井)戦の9回に許したわずか1点、防御率0.20。あの横浜・
松坂大輔の98年夏の防御率が1.17だから、そのすごさがわかる。
182センチ、76キロとバランスの取れた体形の右腕。制球力抜群の速球を軸にスライダーを織り交ぜたピッチングで、ち密な読みと慎重かつ大胆な配球も冴えに冴えた。
甲子園の土を踏んだのは初めてだが、森尾の「全国制覇」への思いは強かった。
2年生秋の福岡南部大会で帽子のひさしに「全国制覇」と書き込む。4回戦で敗退すると、この年の夏の福岡大会では「甲子園」と書き、県大会を制し、大阪入りすると「夢」に変えた。
「甲子園に出られたので、あとは夢を現実にするだけ」
きっぱり言った。
初戦(2回戦)、高岡商(富山)に被安打2、12奪三振の完封(2対0)、続く三重戦では3対0で2試合連続完封。準々決勝の北陸戦は前述のとおり1失点完投、準決勝の東邦(愛知)戦は被安打3で4対0とまたも完封だ。
決勝の拓大紅陵(千葉)は2回裏スクイズで挙げた1点を守り切って1対0。4試合目の完封となった。
最後、9回表二死、打席には準々決勝の池田戦(徳島)で、同じく9回表に劇的な逆転2ランを放った
立川隆史が立つ。森尾は捕手の西原憲一をマウンドに呼んだ。
「高校野球の最後。打たれても納得のいく真っすぐで勝負する!」
すさまじい形相で投げ込んだ1球、立川の力なく三塁頭上に上がった。
森尾は「最高の1日です。人生の中で一番幸せな日です」と涙を流し語った。
社会人に進むも故障に苦しみ、結果を出せなかったのは残念でならない。