1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。 「つらいです。カープが好きだから」

FA権行使を表明する会見で涙を流した新井貴浩
外国人選手の移籍が目立った2007年オフ。珍しくFA市場に手を出さなかった
巨人だったが、
ヤクルトから最多勝の
グライシンガー、打点王の
ラミレスを、横浜からはクローザーの
クルーンを獲得する。
同一リーグ内の移籍ということもあり、古巣チームの戦力にダメージを与えることにも成功して、2年連続で打点王に輝いてMVPにも選ばれたラミレスを筆頭に、グライシンガーも2年連続で最多勝、クルーンは初の最多セーブとなり、いずれも主力としてリーグ優勝に貢献。巨人は補強によって覇権を勝ち取ったと言える。
一方、その巨人を自由契約になったパウエルには
オリックスと
ソフトバンクとの二重契約問題が勃発。最終的にソフトバンクへの移籍となったが、精彩を欠いた。また、長距離砲の
カブレラは
西武からオリックスへ。全盛期ほどではないにせよ、強打は健在だった。
投打の主力が抜けたヤクルトからは、07年シーズン途中に加入した
シコースキーも
ロッテへ。FAでも大物が去っていった。
【2007年オフのFA移籍】
11月25日
石井一久(ヤクルト→西武)
12月7日 新井貴浩(
広島→
阪神)
12月26日
和田一浩(西武→
中日)
06年にメジャーから復帰していた左腕の石井がヤクルトから西武へFA移籍。11勝を挙げてリーグ優勝、日本一に貢献した。
打者の大物2人のFA移籍はドラマチックだった。新井は広島で“涙のFA宣言”。「1カ月、悩み抜いての結論。残留したら、いつか後悔するかもしれない。つらいです。カープが好きだから。FAなんて、なかったらいいのに」と会見で号泣した。
新天地の阪神でも主軸を担い、東日本大震災では選手会長として両リーグ同時開幕を訴えた11年には打点王に輝くなど、グラウンド内外で活躍。14年オフに自由契約を申し出て古巣の広島へ復帰する。16年には通算2000安打に到達。同年はシーズンMVPに輝き、その後もカープのリーグ3連覇の精神的支柱となった。
西武から中日へFA移籍したのが和田。中日は地元の岐阜県に近く、幼いころからのあこがれでもあった。移籍1年目から主力となって黄金時代に貢献し、プロ14年目にしてスタンスを広げるなどフォーム改造を試みた10年に打撃爆発、高目の球を狙い打ちして自己最多の37本塁打を放ち、出塁率.437で最高出塁率のタイトルを獲得、MVPにも選ばれている。14年には通算2000安打に到達し、15年限りで現役を引退した。
人的補償から初のタイトルホルダーも
FAの人的補償で移籍した選手の活躍も目立った。石井の補償でヤクルトへ移籍した
福地寿樹は新天地1年目から2年連続で盗塁王。人的補償で移籍した選手では初のタイトルホルダーとなった。
新井の補償となった
赤松真人は外野守備でのスーパーキャッチで“スパイダーマン”と呼ばれる活躍を見せ、のちに復帰した新井ともチームメートに。和田の補償で西武へ移籍した
岡本真也もセットアッパーとしてリーグ優勝に貢献した。
このオフにFAで海を渡った唯一の選手が
楽天のクローザーだった
福盛和男。横浜から移籍した近鉄で球団合併を経て楽天でプレー、4チーム目となったのがレンジャーズだった。08年からの2年契約だったが、マイナーからのスタートとなった09年、ほとんどメジャーに上がれる可能性がなかったことから自ら契約を破棄して6月に楽天へ復帰した。
写真=BBM