ユニフォームへの記憶も鮮明

1999年当時、二軍監督を務めていた梨田氏(写真上、撮影は2000年)。赤いビジター用ユニフォーム(写真下。左はタフィ―・ローズ、右は中村紀洋)も「結構、印象にはある」と鮮明に覚えている
令和元年から、さかのぼること20年。時の総理大臣は、故・小渕恵三氏。
西武・
松坂大輔(現
中日)がデビューを果たし、王ダイエーが初優勝を飾ったのが「1999年」のことだった。
5月17~19日の西武戦(京セラドーム)で、
オリックスの選手たちが着用するのが、近鉄の99年当時のビジター用の「赤」のユニフォームだ。
実はこの年、ビジター用として「紺」との2種類を、曜日によって使い分けしていたという歴史もある。
梨田昌孝は当時、近鉄の二軍監督として、若手の育成と将来を見据えたチームの土台作りに、全精力を傾ける日々だった。当時のユニフォームへの記憶も、実に鮮明だった。
「赤だろ? 袖のところには白いラインが入っていたんだよ。結構、印象にはあるね。ビジター用が確か2つあったんだ。そういうのもあの当時、珍しかったからね」
その2年後の2001年、梨田は一軍監督として、近鉄を12年ぶりのリーグ制覇に導くことになる。その基礎固めともいえるのが、99年までの4年間にわたり、二軍監督を務めたことにあるだろう。
その中で、梨田が決して忘れることのできない“出会い”があったという。
「あの選手、いいよね。ウチで獲ることは、できないのかな?」
梨田が目を付けたのは、当時
阪神でプレーしていた捕手・
北川博敏だった。パンチ力あふれる打撃はもちろんだが、何よりも、北川が醸し出す「雰囲気」がよかったという。
「いつも、野球を楽しそうにやっていたんだよね。近鉄って、見た目より、意外と暗いチームだったんだよ。だから、北川みたいな選手が絶対に必要だったんだ。こういう選手がいないと、明るくならない。パ・リーグなら、DHもあるし、阪神より絶対に出番も多くなる。だから編成に『絶対に欲しい。獲ってください』ってお願いしたんだよ」
99年の“発掘”が、2年後の栄光へ

獲得を願い出た北川博敏が2001年に代打・逆転サヨナラ満塁本塁打でリーグ優勝を決めた
阪神から北川と
湯舟敏郎、
山崎一玄の2投手、近鉄から
酒井弘樹、
面出哲志の2投手と外野手の
平下晃司での、3対3の大型トレードが成立したのは、梨田が一軍監督として2年目のシーズンを迎えた01年のこと。前年の00年はリーグ最下位。巻き返しを誓う指揮官の強い意向があっての「北川獲得」というわけだ。
移籍後の北川は、捕手から内野手への比重が大きくなった。その勝負強さに、明るいキャラクターも相まって「いてまえ打線」には不可欠の存在となった。その年、タフィー・ローズ55本、中村紀洋46本と、2人で101本塁打。その強烈な破壊力に、梨田は開幕当初に掲げていた「機動力野球」のモットーを「撤回した」と笑って振り返った。
「長所は長打力。ランナー一塁で走ってアウトなら終わり。でも、ホームランなら2点。二塁打でも1点入るだろ。じゃあ、アウトになる確率があるなら、走らないほうがいいと思ったんだよ」
その年のチーム盗塁数は35。パの盗塁王だったダイエー・
井口資仁は44盗塁だから、井口一人にもかなわない。チーム防御率も4.98で12球団ワースト。それでも、12球団トップのチーム打率.280と「打」を前面に出して、リーグVをつかみとったのだ。
優勝マジックを「1」として迎えた9月26日のオリックス戦(大阪ドーム=当時)。3点ビハインドの9回、無死満塁から「代打満塁逆転サヨナラ優勝決定本塁打」という、球史に残る離れ業を見せたのが北川だった。
「1999年があって、そこからいいときも悪いときもあって、2001年につながる。北川は、試合に出ていなくても、ベンチで拍手して、いつもニコニコしていた。心が擦れていない。純粋なんだよ。これはええわと思っていたんだ。あのホームランもね、最後、劇的だったよね」
梨田にとって、99年の“発掘”が、2年後の栄光へとつながった。
「あのユニフォーム、始球式で着るのかな? 楽しみだよ」。
よき思い出が詰まった『赤』のユニフォームとの“再会”を、梨田も心待ちにしているようだ。
取材・文=喜瀬雅則 写真=BBM 【オリックス・バファローズが『KANSAI CLASSIC 2019』開催】
かつて関西を本拠地とした『近鉄バファローズ』『阪急ブレーブス』『南海ホークス』が、5月17日(金)~19日(日)、5月28日(火)~30日(木)の計6試合で復活を遂げる。両チームの監督・コーチ・選手たちが、復刻ユニフォームを着用し戦いに臨む『KANSAI CLASSIC 2019』。オリックスは、5月17日からの対西武(京セラドーム)で『1999年の近鉄バファローズの赤を基調としたビジター用ユニフォーム』、5月28日からの対
ソフトバンク(京セラドーム)では『1970、71年の阪急ブレーブスのピンストライプのホームユニフォーム』を着用する。