
オールスターでマウンドに上がったイチロー
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1996年7月21日だ。
東京ドームで行われたオールスター第2戦は8回を終わって7対3。
仰木彬監督の率いるパ・リーグが
野村克也監督の指揮するセ・リーグをリードしていた。9回表も全パの
西崎幸広(
日本ハム)が2人を打ち取って、すでに二死。次の打者の
松井秀喜(
巨人)が打席に向かおうとした、その瞬間だった。仰木監督が一塁ベンチを出て投手の交代を告げた。
「ピッチャー、イチロー」
沈滞ムードにあった東京ドームが一気に盛り上がる。大歓声のなか、イチローはライトから小走りでマウンドへ向かった。怒ったのは野村監督だ。ゆっくりと三塁ベンチを出て松井に歩み寄る。
「お前、イヤだろう?」
「僕は、どっちでもいいですよ」
苦笑しながら答えた松井だが、野村監督は松井をベンチに下げ、代打に自軍のクローザー、
高津臣吾(
ヤクルト)を送った。大歓声がブーイングに変わり、ヘルメットをかぶった高津が打席へ向かう。結局、高津はカウント2-2から遊ゴロ。試合終了となった。
試合後も野村監督の怒りは収まらなかった。「名監督と言われる人が、人の痛みを分からんようでは困る」と仰木監督を痛烈に批判した。松井はセを代表する打者。打てばご愛嬌も、打ち取られたら深く傷つくと松井のプライドを守ったわけだが、それ以上に格式あるオールスターで、そのような演出をすることが許せなかった。
仰木監督の答えは明快だった。オールスターは“お祭り”でもある。「イチローの投手としての才能をファンに見てもらいたかった」と起用の理由を説明。シーズン中には見られない“演出”こそ、オールスターの醍醐味でもあるという考えだった。
野村監督が松井を退けたことについては「相手のことは関係ない」と多くを語ろうとしなかったが、イチロー登板には「ファンには十分に喜んでもらえたと思う」と胸を張って答えた。
写真=BBM