予想どおりの“無風”ドラフト
時代が平成となり、ドラフトの候補に挙がる選手が希望する球団を公言するケースが増えるようになってきて、それが球団の指名にも影響を与えるようになったことは前回、少し触れた。それが、ついに制度として導入される。
それが平成5年、1993年のドラフトだ。この“逆指名制度”は1位と2位のみに適用され、高校生は除外されたが、多くの大学生、社会人の選手が意中の球団を逆指名。その球団がドラフト会議で指名することで選択が確定する仕組みだ。それまでは希望の球団を公言したことで運命が決まることはなかったが、この93年からは有望選手が運命に翻弄されることが少なくなった。
ただ、すでに若者たちが一喜一憂する姿は、ある種の風物詩となっていて、そんな若者たちの運命に寄り添おうとするファンにとっては、拍子抜けしたというか、もっと言えば、物足りなく感じてしまったのではないか。週刊ベースボールも予想の段階で、すでに多くの球団が指名する選手を確実と報じている。
言い換えれば、指名が不透明な球団は、高校生を狙っている可能性があるということ。そんな
広島と
オリックスは、岡山南高の
山根雅仁を1位で指名すると予想していた。唯一の例外が
中日で、豊田大谷高の
平田洋を指名することが確実視されていた。
【1993年・12球団ドラフト1位指名】
ダイエー
渡辺秀一 広島 山根雅仁
ロッテ 加藤高康 横浜
河原隆一 近鉄
酒井弘樹 阪神 藪恵一 オリックス
平井正史 巨人 三野勝大 日本ハム 関根裕之 中日 平田洋
西武 石井貴 ヤクルト 山部太 結局、広島の指名は予想どおり。逆指名を得られなかったオリックスは宇和島東高の平井正史を指名した。2位も10球団が逆指名で埋まり、3位からはウエーバー方式と逆ウエーバー方式が交互に行われたが、抽選は1度もなし。ドラフト会議は3時間ほどで終了し、「高校生だけ(逆指名を)認めないのは人権問題」など、制度の問題ばかりが噴出する結果となった。
ただ、高校生に有望な選手がいた場合は、このような結果になるとは限らない。翌94年、平成6年のドラフトでは高校生の1位が7人に急増。抽選も復活することになる。
根本の“寝技”に苦杯……

ダイエーにドラフト1位で指名された城島(左は王貞治監督)
週刊ベースボールでも、7球団が高校生を指名すると予想していた。この数字こそ的中させたが、内容は異なる。91年のドラフト予想で西武の管理部長だった
根本陸夫に翻弄されたことは紹介したが、この94年も、ダイエーの専務となっていた根本に見事、してやられた。
【1994年・12球団ドラフト1位指名】
日本ハム
金村秀雄 横浜
紀田彰一 ロッテ
大村三郎 阪神
山村宏樹 ダイエー
城島健司 ヤクルト
北川哲也 近鉄
嘉勢敏弘→田中宏和
広島
山内泰幸 オリックス 嘉勢敏弘
中日 紀田彰一→
金森隆浩 西武
富岡久貴 巨人
河原純一 高校生の指名で唯一、予想を外したのは日本ハムで、東北高の
嶋重宣(広島2位)ではなく、仙台育英高の金村秀雄を1位で指名。問題のダイエーで予想していたのは立正大の
西口文也(西武3位)だったが、ダイエーは駒大への進学を表明していた別府大付高の城島健司を強行指名する。これに11球団は猛反発。このトラブルは翌年のドラフトに尾を引くことになった。
写真=BBM