一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 心配なヒゲ辻のめまい
今回は『1971年9月27日号』。定価は90円。
1勝もできず、2年目のシーズンを終えようとしていた近鉄の
太田幸司。人気先行と言われながらも一軍に帯同し、試合中盤からブルペンに向かう。
そして、日生球場だけだが、それを追って女子中高生、子どもたちが動く。いわゆる“太田親衛隊”だ。
前年秋、女子高校生がつくった後援会もいまだ健在。「不死鳥」という機関誌もあり、会員は500人以上という。
ちなみに彼女たちの心配は、もう1人のコーちゃん、甘いマスクで太田同様人気者になった南海の新人・島本講平が実績で太田を追い抜いてしまうことだったというが、これは島本の伸び悩みで大丈夫だったようだ。
この年、太田は最終的には14試合に投げているが、ほぼ負け試合。
本人は、
「まだまだですね。とても使い物になりませんよ」
と自嘲気味に語るが、決して成長していないわけではない。
真っすぐに関しては、高校時代より遅くなっているのでは、と言われていたが、真っすぐとカーブだけだった球種を、この年はシュート、スライダーを習得。投球の幅は少しずつだが、広がっていた。
捕手のヒゲ辻こと、
辻佳紀も、
「やはり2年目なので余裕が出てきた。マウンドに慣れたようだ。球も生きてきた」
と好評価している。
ただ、太田ではなく、ヒゲ辻で少し心配なことも。試合中、突然しりもちをついて動けなくなったのだ。
単なる貧血との診断だったが、
「急に頭がぼーっとなって汗が出てきた。こんなことは一度もなかったのに」
と辻。若くしてガンで亡くなった方だけに、このころから何かあったのだろうかと思ってしまう。
なお、近鉄では
鈴木啓示が9月9日の西鉄戦(日生)で2度目のノーヒットノーランを達成した。これについてはまた次回で。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM