阪神時代の新庄剛志の人気はすさまじかった。オフの間も関西のスポーツ紙の一面を飾っていた。そんな人気者が2000年オフにFA権を取得。当時の報道によると横浜やヤクルトが獲得に乗り出し、阪神は引き止めに5年総額12億円を提示したという。しかし、本人の口からは意外な言葉が飛び出した。 日本人として初めての四番
2001年、FAで阪神からメッツに移籍した新庄
まさか、衝撃の会見となった。
「やっと自分の考える野球ができる場所が見つかりました。その球団は、ニューヨーク・メッツです!」
同年オフに
オリックスの
イチローがポスティングシステムでマリナーズへの移籍を決め「いよいよか」との期待があったが、新庄のメッツ移籍は「マジか?」という反応だった。
ただ、メッツの条件は契約金30万ドル、年俸20万ドルと、阪神や横浜、ヤクルトよりも劣るものだった。それでも挑戦する姿勢は好意的に受け止められた。新庄は「不安だらけだけれど、夢に向かって頑張るだけ。誘われたこと自体うれしかった。相当レベルが高いし難しいと思うけれど、結構やるじゃないかと目を引くプレーをしたい」と、抱負を語った。背番号は阪神時代と同じ「5」だった。
メジャー・デビューは2001年4月3日、ブレーブスとの開幕戦。8回表、後年
ロッテでプレーする
ベニー・アグバヤニの代走で出場し、中飛で一塁から二塁まで進塁するセンスのよさを見せた。そのまま左翼に入り、9回裏にはダイビングキャッチ。延長10回には後に
楽天に入団する中堅の
アンドリュー・ジョーンズの前に落ちる安打を記録した。途中出場ながら走塁、守備、打撃で存在感を示した。
その後5月は打率.300、6月は.291と打撃好調で、チームに必要な存在に。そして8月3日、敵地のダイヤモンドバックス戦では日本人選手として初めてスタメンで四番に座った。この試合は現地で取材していたのだが、新庄は試合前「四番に入っている掲示を撮っておいてよ」とカメラマンに笑顔で言っていた。
相手先発は
ランディ・ジョンソン。2回の第1打席、空振りの三振も振り逃げに成功。三振でもただでは終わらないところに、並みの選手と違うところを感じたものだった。
1年目はチーム6番目、外野手では最多の123試合に出場して打率.268、10本塁打、56打点。攻守にわたって華やかなプレーを披露し、地元ファンのハートをつかんだ。しかし、オフには本人が予想もしなかったトレードが待っていた。(文中敬称略)
『週刊ベースボール』2020年11月30日号(11月18日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images