3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 クリーンアップ最低報酬の高井

西鉄・榎本
今回は『1972年6月12日号』。定価は100円。
前年リーグ2位の打率をマークした阪急一塁手・
加藤秀司だが、開幕から不振が続くと、阪急・
西本幸雄監督は、あっさり64年にプロ入りし、長く二軍でくすぶっていた
高井保弘を起用。この高井が打ちまくってクリーンアップに入っていた。
「一軍と一緒に遠征に行きたかった。ただそれだけを目標に頑張った」
と高井。バッティング技術は一流だったが、一塁しか守れぬこともあって、なかなかチャンスをもらえなかった。
年俸250万円。12球団最の主軸打者では最低報酬と言われていた。
球界の奇人と言われる西鉄・
榎本喜八だが、その奇行の中には、周囲の思い込みもある。
5月20日、小倉球場での
ロッテ戦がそうだった。
この日、榎本は守備練習でもヘルメットをつけたまま。相手のロッテからは「お年寄りが張り切るとすごいな。ヘルメットつきのフィールディングだぜ」と、古巣だけに遠慮のないひやかしの声が上がっていた。
実は、榎本は帽子を忘れただけだった。
マネジャーに代わりの帽子を探させたが、なかなか見つからず、ヘルメットで守備練習をしていたという。結局、ワンサイズ小さいものしかなかったようだが、
「まあ、いいでしょう。私は何をかぶっても似合いますから」
と笑顔で話し、それをかぶった。
人を色眼鏡で見てはいけないということか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM