3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 バット振り上げ事件から始まった5月

東映・大杉
今回は『1972年6月12日号』。定価は100円。
以前、近鉄戦でバットを振り上げた事件を紹介した東映・
大杉勝男の話があった。
この人は、球界史上最強のケンカ屋とも言われるが、それを決定づけたのが1970年、西鉄・ボレスとの一戦だった。
一塁の大杉が二塁のベースカバーに入った際、走者ボレスへのタッチが強くなり、カッとしたボレスが大杉を押した。
怒った大杉は、ボレスが向かってくるところで右フックのカウンターパンチ。この一発でいかにも頑丈そうなボレスがひっくり返り、その後、反撃もせずに終わった。
そんな怖い者なしの大杉が怖かったのが飛行機だ。あんな鉄の塊が飛ぶことに納得できなかったという。一度、当時の
水原茂監督に列車で移動したいと頼んだが、
「大杉よ、飛行機が落ちたらみんな死ぬんだぞ。そんなとき、お前だけ列車に乗って生き残ったら不公平じゃないか」
と言われ、却下されたという。
5月、この大杉が月間15本塁打の日本記録をつくった。19号は、この時点のリーグトップでもある。
5月6日のバット振り上げ事件の後、12日から本塁打量産が始まり、終盤は1本1本にドラマがあった。
27日、阪急戦(後楽園)でパ新の14本塁打も、翌日の同カードは2敬遠1死球。勝負を避けたという阪急への批判もあったが、
西本幸雄監督は「ウチは勝ちにきてるんだから敬遠は当然だろ」と一蹴。確かに敬遠の2打席は、いずれも走者は二塁で、一塁が空いていた。
残り2試合は狭い東京球場での
ロッテ戦とあって記録達成が期待された。
大沢啓二監督も「敬遠なんかやらねえ。全部勝負だ」と言っていたが、まず30日の1試合目は6打席で2安打も本塁打なし。
翌31日も4打席凡退。チームも敗色ムードが漂ったが、同点に追いつき、延長11回二死で最後のチャンスが回ってきた。
大杉は「プロに入って初めて震えがきた」というが、ここで見事ホームラン。
「うれしかった。とにかくホッとした。会心の当たりだよ。打った瞬間、入ったと思った。これで王さんに並ぶこともできた」
月間15本塁打は尊敬する
巨人・
王貞治とタイ記録でもあった。
では、またあした。
<次回に続く>